とうたいりうは,鎌倉アカデミア演劇科の出身でしたから,なんとか演劇の道で生活をしたいと考えておりました。そこで当時八重洲口にあった,内村直也さん,梅田春夫さんの主宰する芸術協会に通いながら,演劇の勉強を続けておりました。
 NHKがテレビの実験放送をはじめるということになった時,なんとか影絵でテレビの世界に入りたいと思っておりました。しかし,そのためには一度旗上げ公演をしなければと考えておりましたところ,鎌倉アカデミアの教授でいらした吉田謙吉さん(舞台装置家)が,ご自分のスタジオでの公演を,快く許可してくださいました。しかし,そのためには上演用のスクリーンをのせるための台が,必要になってきます。当時は全く物資のない時代で,材木などはとうてい手には入りませんでした。当時の舞台用スクリーンは,幅1間,高さ90cmくらいの大きなもので,それをのせるための台はかなりの大きさがなければなりません。私どもが困っているのを見て,当時建築会社である株式会社間組(ハザマ)勤めていた,私の義兄である中道真澄さん(元株式会社間組取締役)が,間組労組に交渉してくれて労組がかかし座公演を一日買ってくれることになりました。そしてその公演料と引き換えということで,舞台用スクリーン台ができあがったのです。そしてかかし座の第一回公演は,株式会社間組の労組主催で行われその上演料は,スクリーン台と引き換えになったのでした。
 そしていよいよ麻布 飯倉にあった吉田謙吉さんのスタジオをお借りして,影絵劇「くもの糸」(原作 芥川竜之介)の第一回の公演が行われたのです。 たくさん見に来てくださる方があって,吉田謙吉さんも「商売になるといいネ」とあたたかいことばをかけてくださいました。
 そのとき,中学時代からの友人であった,写真家の仲田満男さんがかけつけてくれて,舞台写真を撮影してくださったのでした。 このようにして,いろいろな方の好意に支えられて,旗上げ公演は成功裡に終わったのです。
昭和27年のことでした。   


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