昔、あるところに熊五郎という熊とりの名人がおりました。鉄砲がじょうずで、百メートル先のとんでいるアブをうち落とすことができるほどでした。しかし相手は恐ろしい熊ですから、鉄砲がうまいだけではだめです。勇気がなくてななりません。熊の姿を見ただけで腰が抜けてしまうようでは、鉄砲のねらいがつけられるはずはありません。熊五郎は鉄砲片手にどんな深い山、どんな恐ろしい森にも平気で出かけて行きました。
ところがあるとき、熊五郎の留守に、息子が熊におそわれて死んでしまったのです。まだ十になったばかりの少年でした。こわいもの知らずの熊五郎も、このときばかりは泣きました。そしていかりました。どうしても息子をおそった熊をみつけ出して、八つざきにしてやろうと考えました。しかし、たくさんの熊の中から、それを探しだすことは無理です。それなら、この近くの熊はみなごろしにしてやるのだと、心に決めました。やがて息子を小屋のかたわらに葬った熊五郎は、いつもの倍も弾丸を持って山へはいり、熊を追いました。しかし、どうしたことか、名人といわれた熊五郎の鉄砲が当たらなくなってしまったのです。つぎの日も、またそのつぎの日も同じことでした。こうして、一ヵ月はまたたくうちに過ぎてしまいました。熊五郎のうつ鉄砲の音はむなしく山々にこだまするばかりでした。
熊五郎はすっかり疲れてしまいました。毎夜毎夜、かわいい息子の夢を見ました。しかし、その夢はきまっておそいかかる熊の姿でけされてしまうのでした。今日こそはと、はりきって小屋を出るのですが、どうしても熊をうつことができないのです。あせればあせるほど、いかればいかるほど、弾丸は土にめりこみ、罪のない枝葉をふきとばしてしまうのでした。息子が死んでからというもの、ろくすっぽたべものも、のどを通りません。さしもの熊五郎も、今では心身ともにやつれはててしまったのでした。
ある日のこと、熊五郎はしょんぼりしながら炉にあたっていました。
「熊とりの名人熊五郎も、もうだめかも知れん。まるで調子が狂ってしまった。こんなことではとても死んだ息子に顔むけができやしない」
熊五郎はそのとき部屋のすみに熊のほりものがあるのに気がつきました。息子がほったものでした。手にとってみるとあらけずりではありますが、よくできています。ただいかにもその熊の顔が、静かで美しいのです。本当の熊のあらあらしさが少しもありません。じっとみつめていた熊五郎の目にうっすらと涙がうかんできました。何か息子の気持ちがわかったような気がしたのです。
「そうか、そうだったのか」
熊五郎は一言そういうと、自分でも熊をほりはじめたのでした。もちなれないのみを、鉄砲のかわりに、熊五郎は夢中になってほり続けました。熊五郎は息子のほった熊の表情をみつめているうちに、何ともいえぬ心のやすらぎを覚えたのでした。息子をころされたというショックで、すっかり我を忘れていた自分に気がついたのです。息子のかたきうちをしようと、夢中になって熊を追い回し、むだな鉄砲をうち続けていた自分の姿がいかにもなさけなくあさましく思えてきたのでした。それだけではありません。自分が今までにころしてきた熊をあわれむ気持ちがわいてきたのです。
「私の鉄砲にうたれて親をなくした小熊もいただろう、子をなくしたあわれな親もいたに違いない。息子のためにも私はその一匹一匹のためにも精魂こめてこの熊をほりたいのだ」
熊五郎は息子のほった熊におしえられ、なぐさめられ、そしてはげまされたのでした。やがて小屋は熊のほりものでいっぱいになりました。一心不乱にほりつづける熊五郎の熊は神々しいまでに美しい表情が現れてきました。熊五郎の気持ちはすっかりはれました。
やがて、熊五郎の熊には福が宿っているといううわさがひろまり、いくらつくってもつくっても間にあわないほど売れたということです。
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