むかしむかし、とてもむかしのことでした。ある山の中に生命の泉と呼ばれている、たいへん美しい泉がありました。それこそすきとおった冷たい清水がこんこんと湧きつづけて、遠いむかしから一度も枯れたことがありませんでした。ですから村の人たちばかりでなく、この山に住む、鹿や、猪や、兎や、小鳥たちにとっても、大切な生命の泉だったのでありました。ある日のこと、村の娘の一人が水汲みにやってきたときのことでした。泉の水が突然、ざわざわっと波だったとみるまに、その中からすうっと、白い長いひげをはやした老人があらわれたのです。そして、びっくりする村の娘をなだめながら、こんなことをいうのでした。
「おどろくことはない。わしはこの泉の主じゃ。おまえもこの泉が生命の泉と呼ばれていることは知っているじゃろう。いままでも、そしてこれからも、みんなにとって大切な泉じゃが………しかし、この神聖な泉が血の色で染まることがないとはいえない。もし、そんなことがあればたちまち神罰にふれて、この山は恐ろしい地鳴りとともにくずれおち、人も動物も、それに田も畑も皆ほろびてしまうのじゃ。よいか娘、おまえは村へ帰ったらこのことをよく話し、この生命の泉が血で染まらぬよう、子孫代々いいつたえるようにするのじゃ。よいな………ではさらばじゃ!」
娘は、老人が泉の中へ姿を消すと、水汲みの桶をそこへ置いたまま、とんで村へ帰りました。娘からわけを聞いた村人たちも驚きました。さっそく泉のほとりに小さな社をたて、水神さまをまつりました。そして毎日交替でやってきては泉が血で汚されぬように、周囲をいつもきよめるようにいたしました。それからながいながい間、このならわしは守られ、続けられてきました。素朴な村の人たちにはだれ一人、この話を疑うものはなかったのです。しかし、それも、何百年、何千年といいつたえられているうちには、やはりこのことを信じない者があらわれるようになりました。というのは、このながい間、泉が血で汚されることもなく、まして山がくずれて村がいたでをうけたこともありませんでしたので、すっかり気が楽になってしまったのでしょう。それにちかごろでは村の人たちのちえが進み、建物もじょうぶにつくっていますし、崖くずれの心配なところは石垣を築いてそれを防ぐことができるようになりました。井戸をほることもじょうずになって、いまではわざわざ生命の泉まで水汲みに行かなくてもすむようになりました。
「こんなに人のちえが進んだ時代に、なんだって、村の年寄りたちは、あいもかわらず水神さまに日参しているのかね?」
「あんな古い迷信を、今でも信じているなんて、どうかと思うなあ」
「ひとつ、からかってやろうか、わざとあの泉の水を血で染めるのさ………なに簡単さ、あそこに住んでいる鯉をもりでつけばたちまちさ、そしてとったえものは、ぼくらでたべてしまえばいいじゃないか?」
「なるほど、それはおもしろい!いつもうるさい村の年寄りたちは、それこそ腰をぬかすに違いない。さっそくやろうじゃないか」
若者たちはその夜、たいまつを手に手に、泉にあつまり、いちばん大きそうな鯉をえらんでもりでさしました。生命の泉はたちまち血に染まって真赤になりました。
翌朝、いつものようにやってきた村の年寄りはそれをみて、真青になりました。
急いで村へ帰ると、早鐘をうって村人を集め、すぐに村から逃げるようにつたえました。しかし、いたずらをした若者たちはいうことききません。みんなのいなくなった村の中で、とってきた泉の魚を料理して、宴会をはじめたのです。
「はっはっは………こんな大さわぎになるとは思わなかったね。どうだいみんなのあわてようは………どいつもこいつも馬鹿ばっかりだな………」
とその時でした。ごうーという恐ろしい地鳴りが始まったと思うまに、みるまに山がくずれだしたのです。はげしい音があちこちにこだまして、土煙りが高く舞い上がりました。もちろん若者たちは生きうめになってしまいました。実は若者たちが泉でさした鯉こそ、何千年も生き続けていた生命の泉の主だったのです。
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