わがまま杉太郎
昭和41年6月号


 鹿のかける姿はとても美しいものです。

 森の中を楽しそうに走り回る鹿の姿をうっとりと眺めていた杉の子杉太郎はある日、お母さん杉に言いました。
「僕つまんないや、どうして杉の子なんかに生まれて来たんだろう。生まれてから死ぬまで、同じ所にじっとしていなければならないなんて、僕がまんできないや、僕さっきの鹿の子と同じ年なんだよ。それなのに、どうして僕だけじっとしていなければならないの?」お母さんはやさしく答えました。
「そりゃお前、杉の木だったら、じっとしていることが一番幸せなんだよ。昔からみんなそうして来たんだよ。それで間違いなかったんだからんだからね。お父さんを見てごらん。永い間じっと辛抱してきたおかげで、今じゃこの近所で知らないものはありゃしないよ。くらかけ山の杉之助といえば人間だって知ってる位だもの、お父さんのおかげで道に迷わないですむって話だよ。」
けれど、杉の子にはお母さんの話がよく分かりませんでした。
「だってさ、鹿だけじゃないもの、お魚だって、とんびだって、みんなみんな楽しそうにとびはねているのに………」
 杉の子はそれからというもの、毎日ぶつぶつ文句を言っては体をよじらせていました。
もちろん何とかして動きたいと思ったからです。
風もないのにざわざわゆれる杉の木を見て、山のものたちは何かおこらねばよいが、とささやきあっていました。

 ある夜のことでした。杉林の中を流れる谷川のふちに白い霧のような老人が現れて杉の子に言いました。
「お前はどうしても鹿のようの自由に走り回りたいと言うのだね。」
威厳のあるその言葉にどきりとしましたが、威勢よく答えました。
「はい、そうです。僕たちだけがじっとしていなければならないなんて不公平です。」
老人はしばらくじっと杉の子を見ていましたが、やがて、
「よし、それではお前の望み通り、鹿のように自由にしてあげよう。ただし夜明けまでにもとの場所に戻らなければならない。若し戻れないときは、その時お前がいる場所から動けなくなってしまうのだ。よいな、それでよければ行ってこい。それ!」
 老人の体が消えると同時に杉の子の体は急に軽くなりました。ピョンピョン飛びはねることができるのです。
すっかり喜んだ杉の子は、それこそ鹿のように身軽く谷川を飛びこえ、遊びに出かけました。
 しばらく行くと、いつかの鹿の子に会いました。
自由になれて嬉しくて仕方がない杉の子は、鹿の子にかけくらべをしようとさそいました。森から山へ、山から森へ、野原をかけぬけ、湖のまわりを何べんも回りました。
 夢中になって遊んでいるうちに、さあ大変です、いつの間にか東の空が明るくなっていました。
あわてて帰ろうとしましたが運悪く、村の一本道の真ん中で夜があけてしまいました。今の今まで、鹿のように走り回っていた杉の子は道の真ん中にぴたりと動けなくなってしまったのです。
 「お母さーん、お母さーん。」
 いくら叫んでも返ってくるのは山彦ばかりでした。
そのうちに村の人たちが通りかかりました。
 「おや、いつの間に、こんな所に杉の木が生えたのだろう。」
「たしか昨日までは見えなかったよ、おかしいなあ。」
「ともかくこんな道の真ん中に杉の木が生えたんでは困るなあ、みんなで伐ってしまおうじゃないか。」
「そうだそうだ、大きくなると面倒だから早いとこ伐ってしまおう。」
かわいそうに、杉の子は村の人たちによってたかって伐られてしまいました。
谷川のほとりの杉林の中では、いつまでも帰ってこない杉の子を待ちわびて、お母さん杉は今でも泣いてくらしているということであります。
白い霧のような老人というのは、山の神だったということであります。