山には山の神、海には竜神、樹木には木魂、その樹木で造られた船には舟霊(ふなだま)と云った風に、我が国では昔から、この世のものすべてに霊魂が宿っていると考えて来た。だから、やまと言葉には〈死〉に相当する言葉が無く、去るとか、かくれるとか云う風に、身体は滅びるが霊魂は不滅で、ただ我々には見えないだけだと考えていたようである。この場合、霊と云い、魂と云い或は神と云い、いろいろな云い方をしているけれど、意味するところは同じと考えてよい。神は上のあて字であって、西欧風の天にまします全能の神と云う絶対の概念ではなく、自分達よりは能力・地位の上の人の魂を祀ったのを神と云って来たのである。西欧文化の影響を受けて、この神の概念が混乱して来ている為、よく宗教談義で話がくい違うのは、実にこの点なのである。我が国の伝説、昔話を味わう場合、是非この程度の事は知っておいて欲しい。面白さが大分違って来る筈である。神国日本と昔から云われているが、今までのところ、唯一絶対の神が統べる国という意味では無く、このように八百萬(やおろず)の神々(神霊)がいます国と考えるべきで、とすればどうしても我が国の伝説の多くは、死して尚魂魄この世に留りて、この世の人を驚かせし話と云うことになる。
それは日本海に面したある半島の漁村に、昔から伝えられている話である。
その村におさよと云う美しい女がいた。家が貧しかった為に早くからある賑やかな港町に遊女として身を投じていたが、あるとき重蔵という心優しい若い船乗りに出会って以来、すっかり恋のとりこになってしまったのである。重蔵は生まれつき器用なたちで、是非船大工になりたいと、船乗りをしながらもその日の為に金を貯え、腕を磨いていたが、あるとき船乗り仲間から、
「重蔵、お前金を貯えるのもいいが、船乗りをしている以上、板子一枚下は地獄、明日の生命はわからねえ、たまにはハメをはずして遊んだらどうだ。」
とすすめられて、成程、それもそうだと、ついその気になり、有金はたいて遊女を買ってみたら、それがおさよだったと云うわけなのである。港のあるところ女あり、夜ともなれば紅灯のもとに嬌声が渦巻き、一夜あければ船は次々と帆をあげて港を出て行く。別れを惜しむ女達は、おのれの腰巻きを外して振ったと云う、今でもその場所に腰巻地蔵がたっているそうだ。さて話をもとへ戻そう。一夜の出会いで重蔵とおさよは別れ難い仲になり、固く夫婦約束をすると重蔵は北の海へ出帆した。半年たたぬうちには必らず迎えに来るからと云うことであったのだが、運命は厳しかった。指折り数えてその日を待っていたおさよの耳に、やがてきこえて来たのは、重蔵の船が難破したと云う不吉な噂であった。
「いやそんな事がある筈はない。重蔵さんに限って……例え船が難破したって、あの方は強い方、死ぬ筈はない!」
おさよはその噂をしきりに打ち消そうと努力したが、しかし不安はつのるばかり、毎日、朝から潮風に吹かれながら沖を通る船を眺めくらしていたが、その姿が次第にやつれて行くのも無理からぬことであった。年端も行かぬ頃からの紅灯ぐらし、沢山の男の相手をして来たおさよだが、しんそこ惚れたのは後にも先にも、重蔵ただ一人だったのだから仕方ない。手鍋さげても厭わぬつもりが、今では再会も出来ぬままに、熱にうかされ、重蔵の名をうわ言で繰り返すばかり、店の主人も始末に困り、おさよを生まれ故郷に送り返す他はなかった。
ふるさとの漁村に戻ったものの、すでに両親はこの世に無く、みよりの全く無くなったおさよはここでも、毎日海辺へ出ては重蔵の船を待った。連日のように荒れ狂う冬の海のしぶきを浴びて、岩の上に
立ち盡すおさよは、そのうちにとうとう本当に狂ってしまった。なまり色に低くたれこめた雲の下、荒れ狂う波の間に、おさよは幾度か、重蔵の船の幻をみては身をのり出し、あらぬ声で叫び狂うようになってしまったのである。心配する村人がいくら止めても無駄だった。或日、まるで野獣のように白い歯をむき出しにして襲いかかって来る非常の荒波に逐に呑まれてしまったと云う。しかし、波にさらわれたのか、自ら身を投じたのかは誰にもわかることではない。それ以来この浜に人がたつと、その砂の底からすゝり泣く女の声がきこえると云われ、この地方の言葉で〈ごめき浜〉と名づけられ現在に至っている。またおさよの切ない心情を想いやった村人が海の見える小高い岡に小さな祠を建てて、おさよの黒髪を祀ったが、重蔵をおもう執念がこの沖を通る船という船を止め、浜に引き寄せると云う噂がたった為、村人は驚き、あわてて祠を海の見えない岡のかげに移した。それが今も残っている黒髪神社だと云われている。
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