真珠のうた
昭和52年5月号


 昔、ある海辺に若い漁師が住んでいた。或日の事だった。その漁師が波打際で遠い空の夕焼をみつめているとふっとその前に一人の娘が現われた。美しい娘で、その瞳はどんな宝石よりも美しく、神秘な輝きを放っていた。娘の名はあこやと云い海の向うの小島からやって来たのだと云った。若い漁師はその日からその娘を妻とした。
 それから何年かたったある夏のことだ。潮の異変があったのだろうか、そのあたりの海で、突然漁がなくなってしまったことがあった。その村だけではなく近隣の漁村はみな大きな痛手を受けたのだった。その中にはとうとうその日の食事にもこと欠く有様になった。そんな或る日のこと、若い漁師の妻あこやは、どこへ行って来たのか髪までびしょぬれになって家へ戻って来ると、夫に一粒の真珠を差出したのだった。大きな美しい真珠だった。
 「これは私の命、いえ生命同様に大切にしていた宝です。これを一刻も早く都へお持ち下さい。きっと高値で売れることと思います。それで困っている村の人達を救ってあげて下さい。
 「どこからこんな高価なものを?といぶかりながらも若い漁師は都へ上った。予想通り、真珠は法外な値がつき、大金を手にした漁師はそれで村を救うことが出来た。その上若い漁師夫婦は、真珠(しらたま)長者と云われる程に裕福なくらし向きになることが出来たのだった。けれども何故か、その時以来、あこやの片目の目は閉ざされたままになり、心配した夫がいろいろ手当をしてみたのだが、遂に再びあくことはなかった。しかしそれ以来、若い漁師はすっかり人が変ってしまった様だった。村の救生主、真珠長者ともてはやされて、すっかりいい気持。何かと云うとすぐ村の人達を集め、飲めや唄への宴にあけくれるようになってしまったのだ。
 いくら金持ちでも、働かないでこう使ってばかりいては永続きする筈はない。何年もしないうちにすっかり落ちぶれ、貧乏になってしまった。一度ぜいたくの味を覚えてしまったから始末に悪い。長者暮しですっかり怠けぐせがついてしまったから仲々働こうとはしない。それどころか、又あの真珠が欲しいと云い出す有様。あこやもはじめは断り続けていたが、あまりの貧乏ぐらしでみじめな思いをしているこども達をみているうちに、ついふびんになった。
 「よろしうございます。貴方様のたってのお望みとあれば、今一度、真珠を持って参りましょう。けれどこれが最後ですから、よく御承知おき下さい。」
 「すまぬ。」
夫は頭を下げた。
 しかし、松林を抜けて海辺へ向うあこやの姿を追って、若い漁師はあとをつけたのだった。
「これが最後では困る、真珠のありかをこの目でしかと見ておかねば」と思うのだった。
 あこやは岩の上から真青な海に飛びこみ、海底深く沈んで行った。もちろん若い漁師も後へ続いた。しかし、海底につくと急に目の前からあこやの姿が消えてしまった。はて?とあたりを見廻していると、どこからか、すすり泣く女の声がきこえて来た。その声をたよりに泳いで行くとそこには大きなあこや貝があった。まさしくすすり泣きはその中から聞こえて来る。静かにそのふたが開き、その中から溢れ出る両の目の涙を押えたあこやの姿が現れた。
 驚く夫の目の前に一粒の真珠を差し出して云った。
 「私は実はあこや貝の精なのです。私達の仲間は皆この深い海の底で一心に真珠を作り、永い間かかって美しく磨きあげるのです。それが二つ出来ると、竜神の許しを得て地上の人間に生れ変ることが出来るのです。幸せなことに私は夢が実現して、あなたと夫婦になることが出来ました。けれどこれも運命なのでしょう。大切な二つの真珠をあなたに差上げてしまった私はまた元の貝に戻る他はないのです。真珠は私の瞳だったのです。」
 「取返しのつかぬことを!何と云う私はおろかなことをしてしまったのだろう。この真珠はもう決して手離すことはすまい。」
若い漁師はうちしおれて、帰って行ったと云うことです。