「伊豆」という小さな体裁の雑誌が、かつて刊行されていました。これに連載していた「新伊豆夜話」(物語 宮川晟)の挿絵の仕事をかかし座がしていました。手元に残っている本を見ると、どうやら昭和32年から発行を始めていたようです。かかし座の仕事は20号の表紙に「修善寺物語」の絵を提供し、その後の21号から、表題の連載が始まったようです。手元にある現本では28号の連載第8回まで確認出来ます。
第1回「山女魚の恋」第2回「嫉妬の渡し」第3回「蓮台寺の仏像」第4回「物言う栄螺」第5回 不明 第6回「石楠花の精」第7回「土肥金山夜話」第8回「妻恋う河鹿」というラインナップです。
この挿絵の仕事は、小さな体裁のおそらくたいした部数ではなかったであろう本の仕事としては、ずいぶん力の入った仕事になっています。というのは小さな本の4ページのスペースにオール1色とはいえ、8点の挿し絵を入れてあるのです。まるで小さな紙芝居の様にも見えます。
それもそのはず、この本は、「伊豆友の会」の編集ですが、この会は実は創立者の学んだ「鎌倉アカデミア」の先生方と生徒達の集まりだったのです。ですからなにやら錚々たる皆さんのご協力があった様で、各巻の表紙は舞台美術家で大学教授だった吉田謙吉さんの絵が飾られ、題字は川端康成氏のものが使われ、鎌倉アカデミアの学長で哲学者の三枝博音氏も寄稿しています。
創立者・後藤泰隆も深いつきあいの中で巻き込まれていたのだと思います。本人も伊豆が大好きで、仕事の合間などによく湯ケ島温泉のなじみの宿(湯川屋)に通っていました。そうしたバックグラウンドのある仕事でしたので力も入ったのだと思います。
(追記)
上記では「新伊豆夜話」が28号まで確認できるとありますが、この度「鎌倉アカデミア」を伝える会の渡邊朗様より、29,30号が存在することを教えて頂き、そのコピーを頂戴しました。
渡邊様には改めて御礼を申し上げますとともに、30号(昭和30年2月1日発行)の一部を掲載致します。
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