人形劇人の生活と意識‘92に寄せて

後藤 圭

「人形劇人」日本人形劇人協会発行 93年頃掲載

協会の方から原稿の依頼を受け、改めて全部を読み返してみましたが、そこから読み取れる粗方の事はアンケートの問42の答えである「人形劇の現状と活動への意見」及びP44からの座談会で集約されています。ここには各世代の人形劇人の典型的ないくつかの考え方や思考方法、構造的な問題点が見事なくらい端的に記載されています。
 それがこの本のまさに使命であるのだから、その点に於いてこの本はまったくよくその使命を全常していると言えるでしょう。
 要するに「忙しすぎて収入は低すぎて…でもとてもいい仕事だし好きな仕事だから無理が出来るうちは続けていきたい…。」そんな平均的な意識がこの本から読み取れるような気がして、一種のやりきれなさを感じるのは私だけなのでしょうか?中には「自分は違う、人形劇は運動なのだから自分は尊い運動に身を捧げているのだ!」という方もおいででしょう。それはそれで大変立派な考え方だと思います。しかしこのやりきれなさを払拭し、世の中の尊敬を受ける職業としての人形劇界を作って行くにはもはや運動だけでは無理があります。
 今、我々に必要なのは何でしょう。それもまた別の機会に各地のフォーラムなどで言い尽くされています。それは何らかの形の強力なパトロンの登場であり、法律に裏打ちされたユニオンの創立であり、文化芸術に関する基本法の制定であり、人形劇の教育養成機関の設立であり、健全なマーケットの確立であり、天才の出現です。最後の一つだけは私が勝手に付け加えましたが、後は何処かで聞いた事のあるものばかりです。
 上に挙げたものの中には、あるいは「そんなものは無い方が良い」という意見をお持ちの方もいらっしゃると思います。しかし最大の問題は上に挙げたものが、ただの一つも無い国、日本という国で我々が活動しているという事です。
「地方の時代」が叫ばれてもう何年になるか忘れましたが、今だに「地方の時代」はやって参りません。それと同じ様に「ソフトの時代」も、このままでは多分やって来はしないでしょう。
 “オリジナルを尊ぶ”、“何らかの創造行為をしている人を尊重する”、“水や食物と同じ様に文化芸術を必要なものだと信ずる”。これらの考え方はつきつめれば「哲学」です。この国の社会には「哲学」が無いのです。この国の大多数の国民の現状は地道な創造行為と商業主義、いわばハードにつき従う形のソフトとの区別もつかないのです。私たち人形劇人はこの社会の狭間で懸命にもがきつづけるドンキホーテの集団なのかもしれません。私は、私たちドンキホーテの行動が事と次第によってはこの国の社会に風穴を空け、「哲学」を生み出し、本来の意味での「ソフトの時代」を呼び込む原動力になれるかもしれないと思っています。
そんな愉快な夢を見るための一助にこの本が使われたら…私はこの本の頁をつづりながらそんな事を考えました。