「戦後50年に思う」

後藤 圭

「DDKだより」 第一同友会発行 1995年12月頃掲載

私は1955年の生まれですから、戦争の体験者ではありません。それどころかいわゆるアングラの世代もかろうじてかすっているくらいでその渦中にいたわけではありません。児童劇、人形劇の世界でも純正戦後世代としてやってきただけに、この原稿のお話を頂いて、大変戸惑いました。ですから一つ正直に私の思いを書いてみることに致します。
 私のまだ小さかった頃、高度経済成長が始まり「所得倍増計画」や「皇太子御成婚(平成天皇の)」などがありました。またベトナム戦争や安保闘争、東西対立などで世界情勢も大変な時代であったにも関わらず、私にはそういった社会情勢と向き合う機会はありませんでした。高校に入学した時もいわゆる学園紛争は鎮静化してしまったあとでしたし、あまり興味も持ちませんでした。そうした社会的なものと否応なく向き合ったのは、父(後藤泰隆)が早く亡くなり、その後を受けて父の創立した「劇団かかし座」を引き継ぐようになってからです。「劇団」という最も人間的かつ創造的、反面一般社会からは全くと言っていいくらい認められていないとても特殊な法人から社会を見たとき、やはり現代の日本社会のゆがみがよく見えるのかもしれません。
 特に、劇団活動に参加してみようと門をたたく若者の気質の変化。演劇の受け入れ団体であり、大変お世話になっているお客様である“学校”“公立文化施設”“子ども劇場”この3つの組織のあまりにもきわだった考え方や受け入れ方の違い。また劇団活動を続けていくにあたって関わってくる税制や行政側の不備や無知。
 私の仕事と身の回りに起こるそうした事象すべてにだんだんと50年前に終わった戦争、あるいはそれ以前からのこの国の歴史の影を感じるようになりました。
 今、私はこの世の中、世界社会のあまりの大きさ、そしてその不可解さに今更のように驚いています。そしてその一つの現象である「戦争」が人の愚かさの結論として起こりつづけていること。それが世の中から消えた事がないという歴史的な現実に恐怖します。「そしてそれを世界から実質的に消し去ることができるかどうか」というあまりにも重い問いかけが私達の世代にかかってきていることに、絶望的な思いに駆られます。
 しかしたとえ僅かでもそこに「希望」という名の可能性があることはギリシャ神話でさえ教えているのです。