文化を奏でる地域学
横浜の演劇人大集合!
演劇センターをつくる

後藤圭
(ごとう けい/ 劇団「かかし座」代表)

「現代のエスプリ」
第344号
知的に地域を愉しむ方法
ーー地域学のすすめーー
1996年3月1日発行
発行:至文社 編集:上野嘉夫

演劇のおかれた立場

 日本の国の中で、演劇がこんな立場に立たされたのはいつの頃からなのでしょう?
 こんなことをいきなり申し上げても一般の読者の皆さんはなにもピンとこないに違いありません。私の住んでいる首都圏では東京を中心にたくさんのホールで数え切れないくらいの演劇の公演が毎日催され、そこにはそこそこの観客が集まっています。それをみる限り決して演劇の世界がどのような意味でも貧困であるようには見えません。しかし現実にはかなりの問題があります。
 私が"こんな立場"と申し上げたのは訳があります。"こんな立場"がどんな立場かと言いますと、丁寧に書きますとかなり長くなってしまうのですが、簡単に言うと"立場がない"ということにつきます。これは日本の芸術文化関係に広く言えることなのですが芸術文化というのは大変仕事になりにくい分野なのです。もちろん事が芸術文化に関することですから実力の無い者が簡単に仕事になる必要はあまりないでしょう。しかし演劇の世界では、実力があり広く仕事を認められるようになっても(世界的に認められたにしても!)あまり報われることはありませんし、若い芸術家が次々と出てきて競って仕事をするような状況では全くありません。

芸術文化に関する投資とは

 なぜかと申しますとあまりにも経済的に無理が大きいからです。この演劇という分野でいかに勉強を続けて良い仕事をしても、まず家族を養ったり自分の家を建てたり、といった一般的な夢を持つことはほとんど不可能です。いってみれば演劇の勉強してプロを目指すという事は元の取れない投資をする事とほとんど同じなのです。
 なぜ芸術文化関係の仕事は経済的無理が大きいか、という根本的な疑問については…-これも詳しく説明すると大変ですが、音楽であれ演劇であれ何であれ、そういった芸術を創造しうるにたる技術や素養、経験を積むための時間的、経済的、及び人間的な努力や経済的な苦労、いわば芸術的な投資はほとんどの場合その芸術を享受する人達が感じている経済的な価値よりも大きいのです。ですから、舞台芸術の場合観客の支払う入場料とそこに関わる芸術家たちに対する報酬という単純な経済では、"本当は"まず絶対に成立しないものなのです。
 "本当は"といったのは、例えば人気の極めて高い一部のものや超一流の世界的なものの場合には、異常に高い入場料を日本の観客は納得して払っていますので、そのような場合は成立しているかもしれません。諸外国の場合にはそういう事情(芸術を生み出すための投資は決して通常の経済の中では回収されないという事情)を市民や政治家、行政が大変よく承知をしていて、何らかの形の助成金(国庫補助であったり民間のメセナ活動の奨励であったり)を用意するシステムが日本に比べれば整備されています。そのために様々なタイプの芸術家が世に出てこられるし、日本のようにばかばかしく高い入場料を観客が払うこともないわけです。

例えば、音楽と演劇の事情の違いについて

 それでも例えば音楽の世界ではどんどんたくさんの才能が出てきているではないか!というご指摘も当然あるでしょう。もちろん音楽の世界であっても基本的には状況は似たようなものです。しかしそこには大きな違いがあるのです。一つには"音楽がかなり大きく産業と結びついている"という事。もう一つは"音楽と美術は学校の教科に採用されている"という事です。音楽は産業と結びついているのと教科に採用されているという二つの点で演劇の場合よりもはるかに職業化する可能性が大きいのです。
 例えば日本には音楽を専門に教える学校がたくさんあります。そこにはたくさんの先生が雇用され、その何十倍かの数の生徒たちが常に学んでいます。なおかつ一般の学校、大学などでも様々な形の音楽教育が行われていて若い人達が希望さえすればいくらでも勉強することが出来ますし、その教育を受け持つ先生もたくさんいるわけです。
 ではどうして演劇を教える学校が少ないのでしょう?
音楽や美術を教える学校の数に比べたらほとんど無いみたいな数しかありません。それは明治の話になってしまうのですが、明治政府が芸術教育をどのようにするか考えたとき、音楽取調掛と美術取調掛(現在の東京芸術大学)は作ったのですがなぜか演劇に関しては作らなかったのです(舞踊などについても作らなかった)。もしかしたら「能、歌舞伎、狂言などの古典演劇があるから日本では必要なし」と考えたのかもしれません。いずれにしてもこのときの明治政府の大失策?によって現代演劇が日本の芸術文化史の裏街道を歩む運命が決まってしまったといえるのかも知れません。
 でも、それにしても明治の頃の事が未だに尾を引いているというのもなんだかだらしのない話です。何しろ百年以上前の話ですからそれ以後の演劇人たちの努力によっていくらなんでも少しは何とかなりそうなものです。ところがもう一つ大きな原因がある、と私は考えています。これは主に戦後の話だと思いますが、演劇(ここで言うのは現代演劇ですが)は「運動」だったのです。「運動」というのはいわゆる左翼運動です。新劇と呼ばれる演劇のほとんどが「運動」として自覚され、そのための啓蒙活動として演じられていました。
 これは演劇の場を全くと言っていい程作ってこなかった行政の側にも大きな責任のあることなのですが、これでは広く大衆に支持されるわけはありません。芸術や文化というものは広く、あるいは長<大衆に支持され、それを生み出した国の国民にとって誇りに感じられるものでなければなりません。
もちろん「運動としての新劇」も多くのファンを生み出し、ある程度の支持基盤の上で発展してきたわけですが、わざわざ劇場まで足を運んで「啓蒙」されたいと思い続ける人達がそんなにたくさんいるわけはありません。ましてや行政の対応に至っては消極的にならざるを得ません。日本の演劇が音楽などの分野に比べて社会的な面でどうしても一歩遅れてきたのにはこうした理由もあったのです。

最近の演劇事情

 しかし最近の演劇界は徐々に変わりつつあります。かつては能・歌舞伎のような「伝統演劇」、東宝・松竹のような「商業演劇」、俳優座や民芸などに代表される「新劇」、私たちが取り組んでいる「児童演劇」の大体四種類くらいに分類出来てしまっていた演劇の世界に様々な種類の風が吹くようになってきました。新劇や児童演劇の枠にとらわれない若い演劇人の層が少しずつではありますが広がっています。そしてより舞台の上でのパフォーマンスを重視した本来の"演劇"を志向した作品が出てくるようになってきたのです。また海外との交流も盛んになり、当然の事ながら日本の従来の現代演劇(=新劇)のようにイデオロギーに縛られたりしていない演劇と触れる機会も増えてきました。

演劇人の養成は……

 ではそうした新しい風に触れた演劇人が増えてくれば問題は解決するでしょうか?残念ながら事はそう簡単ではありません。先ほど「演劇を教える学校が大変少ない」という事に触れましたが、音楽や美術を教える学校に比べると微々たるものです。大学で演劇に関する学部や専門課程を持っているところは全国で数校という有り様です。結局演劇の勉強をしたい場合は各劇団や個人が開設している養成所に入るより他に方法がありません。そうした養成所は、ただでさえ大変な経済状態の劇団が経営しているわけですから十分な設備も指導者もあるわけがありません。
 またそこで教えている中身の問題になりますと、これもなかなか大変です。例えば音楽ですが(どうしても音楽との比較が多くなってしまって申し訳ないのですが)、音楽の教育・養成システムに様々な方法論があり、メソードがあってそれぞれに成果を上げている事は割合良く知られています。実は演劇の俳優養成、演出家の養成、脚本家の養成などにもそうしたメソードが世界中にたくさんあるのです。ですがそのような養成システムはまだほとんど日本に入ってきておりません。ですから正統的な訓練を受けた演技者や演出家、脚本家として世界に通用する人は、実はまだほとんどいないといってもいい位かもしれないのです。
現在の演劇人は先輩や自分の経験、あるいは交流の中からしか学べ得ないのです。確かに自分で演技や演出のなにかを掴み、素晴らしい仕事をしているごく一握りの人はいますが、若い志を持った人達がこれから学ぼうとするときには、ほとんど手がかりのないのが実状なのです。

演劇はどこで観るの?

 読者の皆さんは演劇を観に行くときにどんなところへ観に行きますか?もちろん演劇が行われている場所へ足を運ぶわけですが、その場所というのが実はなかなかくせ者なのです。ほとんどの場合、あなたの住む町の市民会館や公民館、文化センターなどへ行くわけですが、この国のホールはたいていの場合多目的ホールです。多目的ホールというのはいろいろな目的のために兼用で使えるホールのことで、実は何をやっても"帯に短したすきに長し"と言った具合に大変使いにくい場合が多いのです。音が悪い、声が聞こえない、間口や奥行きが足りない、袖が無い、見えない客席がある、搬入口が無い!等の悪条件はわが国では当たり前です。ごく最近建設された東京の、それも舞台芸術のために建てられたホールでは調光室から舞台が見えなかったそうです。施設を実際に使う人、つまり演劇人などに意見を聞かないでホールを作ってしまうのでそんな事が起こるのですが、建設中の第二国立劇場ではこのような初歩的なミスのないように願いたいものです。
 少し話がわき道にそれましたが、要するに演劇がまともに演じられるホールというのはまだまだ少なく、そのために演じる側では無駄な時聞と労力を費やさなければならず、観る側でも悪い条件のものを高い料金で観なければならないわけです。

演劇愛好家はたくさんいるのです

 少しまとめてみましょう。
○経済的な無理が大変大きいためになかなか良い演劇が創れない。
○教育システムが十分でないために若い人達のやる気や感覚が実を結ばない。
○良いホールが少ないために良い演劇でも十分な上演が出来ない。
 まさにないない尽くしで困ったものです。でも相変わらず演劇の公演はたくさん行われています。観客もそこそこに入っています。これは何を顕しているのでしょう。それは大変簡単です。演劇をやってみたい人も、観に行きたい人も実は大変たくさんいる、という事です。靴をビニールにいれて膝を抱えて観なければならないような小劇場の様な悪条件でも必死になって演じられ、拍手が送られています。幼稚園や小学校、中学校でも年に一~二回の演劇鑑賞教室が開かれて子どもたちが喰い入るように演劇に引きつけられています。演劇の愛好者は大変な数存在しているのです。

地域でものを考えてみよう!

 ではどうしたら良いのでしょう?私たちはその地域に在住在勤している演劇関係者、演劇愛好者が手をつないで少しでも声を上げていくより他に方法がないように思いました。これが「横浜演劇センター構想委員会」の発足のきっかけです。その地域で生活や仕事をしている者同士でしかその地域を語ることは出来ません。同じ"演劇"というキーワードを持つ者同士でしか実態を訴えていくことは出来ません。この「横浜演劇センター構想委員会」の目標は、まだわが国でどこの自治体でも取り組まれた事のない演劇に関する多面的で総合的な演劇振興策についての援言を行い、それによって横浜の街を世界で冠たる"文化発信都市"としていく街作りに大きく貢献することにあります。そしてまた演劇には、今一般の人が考えている以上に様々な側面での社会貢献が出来る力が有るはずなのです。そうした演劇の二次的な力も"生活の街横浜"の確立に大きく貢献出来るはずです。演劇そのものを事業化することは大変困難ですが、演劇を振興し街作りに生かすための投資であれば横浜市のような大きな行政体にとって大変わずかな金額から可能なのです。

横浜の演劇事情・観たい人

 さて、いよいよ横浜の話になってくるのですが、私たちの街横浜では一体どのくらいの演劇が行われ、どのくらいの数の市民が演劇を観ているのでしょう。まず鑑賞者の数から考えてみましょう。
 横浜には三つの大きな演劇鑑賞組織があります。まず「横浜演劇鑑賞協会」これは演劇の愛好家が会費を集めて演劇作品を呼び、協同で鑑賞している組織で、会員約5,200名で年間7回例会を開き、のべ36,400名が鑑賞しています。次に「フォルクスビューネの会」会員約600名、年問10回例会を開き、のべ6,000名が鑑賞。子どもを主な観客対象とした「横浜おやこ劇場」は会員約6,000名、年間約20作品を地域別、年齢別に鑑賞し、のべ40,000名が鑑賞しています。他にも地域的な鑑賞団体や生協の取り組みなどもありますので、組織的な鑑賞活動だけで、年間およそ80,000名から90,000名の鑑賞活動が展開していることになります。
 次に若い劇団や、小劇場的な演劇、アマチュアの劇団に目を移すと、相鉄本多劇場とSTスポットが横浜の二大演劇スポットということになります。ここでは毎年たくさんの劇団が公演をし、そのファンや仲間の観客が集まっています。相鉄本多劇場では、一年間に約50団体が170~180日くらいの公演を打ち、年間に約20,000~25,000人くらいの観客を集めています。一方STスポットでもここ数年の資料によれば一年間に約30~40団体が210~280ステージを行い、年間の観客数は15,000人位と推定されます。
 以上の資料から横浜の街で、実際に演劇に接しているのべ観客数は年間約12万人~13万人に達するものと思われます。以上の他にも演劇の催しがされていますので、実数になるともっと大きくなります。またこの数字は横浜市内で演劇を観る人達の数ですから、"演劇は観るけれども横浜市民でありながら横浜では見ない。(東京に行って観る)"人達がかなりの数いることがはっきりしていますから、横浜市民の演劇鑑賞者数はもっと大きなものになるはずです。又現在挙がっている上記の数字、12~13万人の人が鑑賞している場所は実は駅でいえば横浜、桜木町、関内という横浜の都心に集中しているのです。ですから地理的な理由で"演劇は観たいけれどもなかなか見に行けない。という潜在的な観客の数も横浜ではかなりに上っているはずです。なぜそうなるのかと申しますと、実は現在のところ横浜には演劇を鑑賞出来る場所(ホール)があまりないからなのです。

横浜の演劇事情・やりたい人

 それでは演劇を作りたい人、やってみたい人、はどのくらいいるのでしょうか?まずさきほどの相鉄本多劇場とSTスポットで公演をしている劇団ですが、相鉄本多劇場では、一年間に約50団体、STスポットで一年間に約30~40団体が公演をしています。あわせて80~90団体ですが、これらの劇団が横浜の劇団全部か、というと横浜では公演をしていない市内の劇団もあると思われますので(それ位横浜には場所がありません)、もう少しあるでしょう。
 又、(社)横浜演劇研究所のアマチュア演劇連盟に加盟している劇団は5劇団ですが、これらの劇団は、実に息の長いレベルの高い活動を続けています。又演劇の重要なジャンルとして人形劇がありますが、横浜には約50のアマチュア人形劇サークルがあり(三年ほど前の調査)、お母さん達を中心にしてかなりきめ細かく地域に密着した活動を活発にしています。
 職業的な専門家集団であるプロの劇団は、というと私たちの「劇団かかし座」があります。あまりご存じでない方のために簡単に紹介をしますと、創立は1952年、日本で最初の影絵の専門劇団として活躍してきました。当初はNHK専属劇団としてテレビ映像中心の活動でしたが、映画、出版、舞台と活動の幅を広げていくにつれて、だんだんと舞台パフォーマンスを中心とする劇団になってまいりました。現在は全国を巡回し、年間観客数は20万人を越えています。もう一つプロの劇団があります。「劇団四季」です。これはもう皆さん良くご存じの劇団ですから説明はいたしませんが、わが国で最もアクティブな活動をしている劇団です。
 このほかにこの横浜に在住している演劇人の数はこの街が東京のベッドタウンだという事情もあり、かなりの数になるはずです。俳優、舞台のスタッフ、演出家、舞台美術家、制作者、評論家等かなりの数に上ります。
 横浜の演劇事情についてはざっとこんなところでしょうか、今まで挙げてきた人達はごく普通の演劇愛好者から出たがりの若者、専門家までかなり幅広い人達です。ふつうであれば会うこともないし、言葉を交わすこともないでしょう。しかし横浜にはこれだけの"演劇関係者、ならびに演劇鑑賞者。が住んでいるのです。場所に恵まれないために鑑賞に参加出来ない潜在的演劇愛好者までいれればかなりの需要があるはずです。これらの人達が一つの組織に肩を並べ、それぞれ立場や歩く速度が違っても「演劇振興」という一つの大きな目標に向かって声を上げることが出来たら、先ほど掲げた大目標についても具体的に考えていくことが可能なのではないでしょうか。…これが私たちが考えた事なのです。

はじめてみよう!

 地域に対して本気で考えていこうとする人は、なんといってもその地域に住んでいる人です。けれど今見てきたように一口に"演劇"というキーワードで肩を組めるはずの人達であっても通常は出会うこともありませんし、意見を交換することも大変希です。それぞれの立場やライフスタイル、演劇に対する接し方が皆違うからです。アマチュアの若い劇団の人とプロフェッショナルな演劇人が同じテーブルで語り合うことはありませんし舞台の裏方の人達(スタッフ)が観客と意見交換することもありません。鑑賞団体とプロ劇団という大変近い関係であっても、割合と対立する問題が多いので必要以上に距離を縮めることは通常はありません。
 しかし「もうやらなければならない」というのが横浜の仲間たちの意見でした。神奈川県から「神奈川芸術センター基本計画」が発表され、横浜市からは「ゆめはま2010プラン」が発表され、その中には「アートシティー横浜プラン」が含まれています。もちろんこうした文化振興のためのプランは私たちにとって歓迎すべきです。でもそうした行政側の具体的なプランが進行していった時、それによって出来上がった施設を実際に使うのは私たちです。又いくら数千人の鑑賞団体があっても所詮は民間の大変か弱い組織ですから行政の一挙手一投足でゆらいでしまいます。何とか横浜の愛好家、関係者の意見をまとめ、総合的なプランを持ちたいと思いました。この会の発足に向けて、大変大筋の原案ではありますが「マスタープラン」というものを作りました。そして今後それをより具体的で深いものに発展させ、市民レベルの政策提案をしていきたいと考えています。
 そのためには横浜にいるアマチュアも専門家も、鑑賞団体も劇団も、俳優も演出家も評論家も愛好家も、舞台劇も人形劇も影絵劇も-…・出来得る限りたくさんの立場の人々が集まる必要があります。この世界で長く活躍している人は、皆一家言あり実力のある人達です。大変不遇であった日本の演劇事情の中で歯を食いしばって耐えてきた人達でもあります。これは鑑賞団体の人達でも同じです。そうしたたくさんの人達が集うことは、あるいは難しいかも知れません。全国でもこうした組織は前例がありません。でもこの人達のとても大きな共通項、「演劇」と「横浜」を私たちは信頼したいと思っています。横浜における演劇の振興のためであれば体を張って「ケンカ」の出来る人達です。もちろんまだまだ始まったばかりの組織で右往左往しているのが現状です。行政の人達とも十分に話が出来ているわけでもありません。でも最初の呼びかけに約200人の人が応えてくれました。皆大変に意欲のある人達です。そしてたくさんの立場の人達です。横浜で初めて様々な立場の演劇関係者の横断的な組織が始まったのです。

95年6月25日氷川丸にて

 各方面に呼びかけて、仲間同士が力を出し合い、6月25日に横浜港に浮かぶ氷川丸の六番ハッチで「演劇の花開く街を夢見て」と題されたシンポジウムが開かれました。我が「横浜演劇センター構想委員会」の発足記念シンポジウムです。地元横浜の代表的なシンクタンク「浜銀総合研究所」の上野嘉夫さんの記念講演に続いてやはり地元の演劇関係者を代表し、村井健(演劇評論家・都筑区)、飯田克衝(横浜演劇研究所・中区)、IKUO三橋(むごん劇かんぱにい・中区)、高橋長英(俳優・南区)、田村忠雄(テアトルフォンテ元館長・保土ヶ谷区)各氏によるパネルディスカッションが行われました。総合司会は五大路子さん(俳優・港北区)でした。150名近くの入場者が集まり、そのほとんどの人が入会をしました。初めて集まった横浜の演劇関係者ははた目にもわかるほどはしゃいでいます。皆この日を待っていたように見えました。活発な意見が交換され、横浜での演劇振興に夢を持ちあった一日でした。その後同じ船内で行われた記念パーティーにもたくさんの人が残って語り合いました。一同立ち去り難く、人によっては夜中まで四次会、五次会と盛り上がったそうです。
 現在会員・賛助会員あわせて約200人を数え、問い合わせも続いています。この人たちの熱意を是非何かの形に結びつけたいものです。まだまだこれからの仕事ですし、進めれば進めるほど難しい問題が山積することは目に見えています。ですが私達はこの横浜の街で演劇が育ち、素晴らしい演劇がだれでも鑑賞できる街になることを夢見てこの会を続けていきたいと思っています。

マスタープランの概要

 私達が今持っている「マスタープラン」は大変多岐にわたった概括的なものです。演劇を振興してゆくためには今までご紹介してきた様々な理由のために、かなり総合的な視点が必要なのです。概略を紹介しておきたいと思います。

 1、演劇創造を進めるための構想
 これは俳優をはじめとして演出、制作、劇作等、演劇の現場のスタッフを含めた人的な養成システムの総合プランです。高等学校、大学、等の専門学科、コースの設置を含めたプランになります。

 2、創造活動の支援施設構想
 演劇の振興をするためにはよいホールの設置が不可欠ですが、それだけでは不十分です。稽古場、倉庫、作業場等の場所について、演劇に限らず芸術文化関係者がいかに大変な思いをしているか知らねばなりません。
外国では芸術家に対する住居の提供を通じて芸術の街として有名になったところもあります。他に情報センター、交流センターなども必要です。

 3、演劇ホールの建設
 不可欠である演劇ホールの設置を目指します。多目的ホールと呼ばれている施設はあまり役に立ちませんが、演劇ホールとして設計されたものはかなりの用途に使用していく事が出来ます。本当に利用者の意見を取り入れたホールが欲しいものです。

 4、運営システムの確立
 1~3までに出て来ている施設、及び演劇に関するシステムを有機的に運用していくためには今までと違ったシステムも必要になるでしょう。施設を使う。演劇を選ぶ。交流をする。観客を集める。人を育てる。等たくさんのシステムが必要になります。本来の意味でのボランティアも必要になるでしょう。

以上大きく分けて四つの分野で議論をし、検討を深めていく予定です。この構想委員会が何らかの実を結ぶかどうかはまだまだ未知数ですが、この検討を深めてゆく過程で現在の日本の国の文化状況が又違った角度から新たに見えてくるのではないかと考えています。

芸術・文化の花咲く日を夢見て

 最後になりますが、今後、世界を舞台にしてお互いの国や民族を理解しあい、より良いコミュニケーションを作り上げていくために必要なものは、まず「芸術・文化」です。大きな建物でも、巨大な経済でもありません。私たちの背景にある「芸術・文化」とは一体何なのでしょうか?古典的なものも確かに重要です。しかし古典であっても成立した時代においては前衛であったのです。
 今この国は新しい芸術を生み出すための力を失っている様に思います。それどころか長い時代を生き抜いてきた古典伝統芸術をも失いつつあります。母親たちが子どもに歌ってあげる子守歌が歌えなくなったときに民族は滅びるでしょう。私たちが誇りに思い、生活の中に根ざした「芸術・文化」を持っているうちは民族は滅びません。
 人聞はいつの時代でも、喜びに悲しみに、収穫に、感謝に、その民族が感じた方法で歌い、踊り、奏で、演じてきたのです。高度で難解な情報化杜会が展開する中で、つぎの時代を創りリーダーシップをとりうる世代を育てるために必要なものは、「芸術・文化」であると私は考えています。
それこそが次の世代に伝えていくべき財産であるのではないでしょうか。

〔ごとう・けい 横浜演劇センター構想委員会事務局長/劇団かかし座代表〕