後藤 圭さん 影絵劇を語る

後藤 圭
(ごとう けい/ 劇団「かかし座」代表)
   聞き手  田村くみこ
   写 真  林  文博

「よこはま文化」
第187号
2002年7月20日
発行・編集:横浜文化団体連絡会議




――今日は、劇団「かかし座」の後藤圭さんにお話を伺います。まず出発の頃のことから…

影絵へのアクセス

後藤 「かかし座」の出発は一九五二年です。テレビ放送が始まった年に、実験放送に参加したことがきっかけでした。その前に父が鎌倉アカデミアに在住していました。お寺を校舎にして、レッドパージで追放された先生たちが講義をし、いずみ・たくとか山口瞳とかいう人たちが勉強に来ていました。何年かで潰れてしまいましたが、そこで父が「小熊座」というサークルをやっていたんです。

――後藤泰隆(たいりゅう)さんですね。それを基礎に「かかし座」を立ち上げたんですか?

後藤 当時はまだ全国回りはしていませんでした。巡回を始めたのは三十四・五年ぐらい前からです。

――「かかし座」の名前は知らなくても、影絵は子供の頃の懐かしい印象として残っています。

後藤 最初はNHKのテレビでの仕事が主体でした。今でも教育番組の15分枠はありますが、前の収録を再放映する程度です。
当時は物語だけでなく、歌番組や通信教育講座の映像資料など、ずいぶんいろんなことをやりました。

――影絵にストーリー性を持たせるのは大変だったでしょうね。

後藤 以前は薄い紙を切って、重ねて、鉛筆で書き加えたり細かく切ったりしていました。一カットずつなので、手間がかかります。
一枚の影絵を切るのに、慣れた人で1~2日、複雑なものでは1週間かかるのもありました。昔は手先の器用な方が沢山いて、一生懸命作りましたが、最近の方は手先がダメですね。人件費の面でも採算が取れないので、今はコンピュータで作ります。それでも中々の作業ですが、昔に比べればずいぶん合理化しています。舞台で使う人形は、昔ながらの手造りのものも使いますが。

――アニメが世界で注目されているのに、影絵は少し地味な印象ですが、日本独特の良さはもう少し注目されていいですね。

後藤 子どもが対象ということもあるでしょうね。日本には影絵の劇団が何社かあって、大変手の込んだものを作っていますが、影絵そのものは世界に広くあります。
アジアでは、韓国、中国、インドネシアなどに伝統的なものがありました。中近東のは、水牛の皮をなめした影の人形がお芝居をするスタイルです。ヨーロッパにもあります。人々の日常の中にあって、中国などではお土産としても売っていますね。影絵は世界中で親しまれてきたものです。

――たくさんの賞をお取りになっていますね。

後藤 「かぐや姫」は、NHKからの出品です。カンヌ映画祭の前週のテレビ映画祭というイベントで賞をいただきました。
82年に、新しい手法の実験的な舞台「ミスターシャドー」を始めました。シリーズの最初の作品です。それまでは影絵の美しさとストーリーの展開を伝える劇でしたが、影絵そのものをもっと楽しんでもらうために、影絵の表現が主役になる作品として始めました。最大の売りは手影絵です。数十種類の手影絵をショーにして見せます。ソロもあれば、2人、3人のアンサンブルもあります。

公演の喜びと苦労と

――若い人が多いようですが、人数は何人ぐらいですか?

後藤 役員も含めて全部で30人ぐらいです。 前進座などは150人、人形劇の最大手で60人、事務所の人だけ数人でやっている所もありますし、規模としては中ぐらいでしょうね。そんな中で、短くて1時間から長くて2時間ぐらいのものまで、幼児向きにはもっと短いものもやります。

――最近の子どもたちの反応は変わってきたでしょうか?。

後藤 大都市の子どもは落ち着きがないと言いますが、大都市でも落ち着いた学校もあり、地方でも問題を抱えた学校もあります。だから一概には言えませんが、子どもにとってお芝居を見るのはハレの日で、お母さんに手を引かれたり、それは楽しみにして来るんです。子どもが好きな運動会でもやりたくない子はいますが、お芝居を見たくない子はいません。

――子どもたちと接する仕事の中で、一番うれしいことは?

後藤 作品が子どもたちに受け受け入れられた時ですね。最後まで見てくれて、拍手が沢山来る。目を輝かせて見ている、その目を見る時、本当に生きがいを感じますね。
逆に苦労なのは、経済的な問題です。例えば小学校で公演する場合、観劇料は児童数によりますが一人700円から1000円ぐらい。人数の多い所で午前・午後の2ステージ。それでもきついですね。給料制の劇団の中で、影絵は特殊なんです。事務所でやる劇団なら、必要な役者さんを呼んでギャラでやってもらえばそれだけのコストで済みますが、影絵の人形を扱うには特殊なセンスがいる、年期もかかりますから、ギャラ制は成立しません。芝居をやるためのノウハウを揃えていなくてはいけない。絵を描く人、売り込む人、舞台でやる人までいないとできませんから、それだけのコストがかかってしまうんですね。

――どんな工夫をしているんでしょう。

後藤 一人平均300万の年収を確保するには、平均600万以上の売上が必要です。5割ではちょっと苦しいけれど、30人で懸命に働いて一億八千万円が必要、それだけ売り上げるのは大変なことです。最近は企画営業部4、5人を主体に、全員で売り歩いています。インターネットで、ムービー資料を見ていただく方法もありますが、やはり会って話さないと心が伝わらないんですね。顧客は、学校関係、公立の施設、幼稚園など。小学校向けの作品は2~3本ありますが、一本見ると次の年は音楽とか舞台劇に替るので、毎年続けて見てはもらえません。その次の時は違う作品になりますが、毎回新作というわけにいかず、5年ぐらいのサイクルで新作を仕込んでいます。

――さっき稽古場で、地方の公演から帰ってきた人たちにお会いしましたが。

後藤 たった今大阪から帰って来たばかりです。先ほど経済的な問題と言いましたが、もう一つ人間的な問題があります。こういう仕事は大変不規則で、仕事がある時とない時があり、仕事が入れば入ったで、今度は体力的に大変です。大阪から帰って来て、すぐまた東北に行くなんてことは日常茶飯事です。首都圏の学校でも、1時間半の芝居を仕込むのに3時間はかかります。10時に開演するには7時に入る。それには4時に起きなければならない。常に時間との格闘の中で、拘束時間は12時間を超えます。その上舞台でセリフも言わなければならないとなると、なかなかできないことです。

人と演技さらに磨いて

――今、若い人が入ってこなくてどこでも苦労していますが、どんな形で入ってきますか?

後藤 若い人が劇団に入ってくる動機は、単純に言えば、楽しい仕事がしたい、舞台で活躍してみたいという気持ちだけだったりするわけです(笑い)。動機はそれでもいいけれど、「君は声の出し方をこう直さなければいけない」とか、「しゃべり方を…」とか、結局本人の動機は目的じゃなくなってしまう。お客さんを楽しませることが目的ですから、お客さんから見てすばらしくなくてはいけないんです。お客さんは、何で芝居を見に来るかと言うと、いい役者を見たいんです。下らない奴は見たくない。だから役者さんはステキでなくてはいけないんです(――確かに…笑い)。少なくとも舞台に立っている時はステキさを身に付けていなくてはいけないんですが、これはかなり時間のかかることで、今の若い人が「個性だ、個性だ」とおだてられて育っている環境では身に付かないことです。

――影絵では顔は見えませんが、声にも人間性が出てくるので、毎日の訓練も大変でしょうね。

後藤 まず自分を磨くことと、常に謙虚であることだと思います。かかし座の影絵劇は、役者が皆スクリーンの前に出ますから、芝居ができて、影絵ができて、歌って踊れなくてはいけないんです。歌って踊れる役者さんは少ない上に、影絵もできないといけない。役者さんの生活を安定させるためにも給料制でないとダメなんです。

――「千と千尋」は日本独特の精神やキャラクターがいっぱい出てきて、世界に認められました。「かかし座」の影絵も、世界に誇れると思うのですが。

後藤 うちのステージはかなり前衛的だと思います。演技のスタイルも他にないし、世界に持っていっても多分認められるでしょう。

――世界に打って出ようとは思わなかったんですか?

後藤 日本の文化政策には大変難しいところがあります。海外と交流するのに、映画だったらプリントか字幕を吹き替えて持っていけば、ある程度わかります。でも芝居は、日本に呼ぶ時は丸抱えです。最近は少し反省されてきましたが、独特のやり方ですね。これは本来国際交流でやることで、商業ペースでやることじゃないですよ。一方、向こうから呼ばれて日本から行く時は、滞在費と若干のギャラはくれるけれど、採算は全然合わない。ギャラが保障される、国際交流基金がついているケースでなければ、とても合うものじゃないです。だから僕は、国際交流は、今はあまり興味がないんです。違う形でやろうと思ってはいますが。

――国の補助金はどうですか?

後藤 いろいろなものがあって、国際交流基金の主催事業になれば大名旅行ができますが、ただ基金の指定する場所に行って、向こうの国とやるという、ちょっと違う世界です。一般の場合は、多少の補助金――交通費や滞在費が少々はありますが、基本的には日本での売り上げをあきらめて行くわけですから、大変なマイナスですね。

――文化政策というのは、政府が補助して初めて成り立つことだと思うのですが、どんな所が問
題でしょうか?

後藤 公演に対して助成金が出ますが、マイナスになった分に対して丸々出るわけではないんです。事業助成でやっていく限りプラスにはならない仕組みになっているのを各団体が工夫して、もらった助成金で何とかプラスになるようにしていくわけです。もともとの考え方がそれですからなかなか難しいのですが、じゃあどうするかといえば、事業助成ではなく、団体助成として「かかし座」が一年間公演することに対して補助金を下さいと…そんなことが可能になったら大変助かるんですが(笑い)、出す側の立場になったら大変危ない話でしょうね(笑い)。

輪を広げ 夢を広げ

――前回、映画の福寿さんと話し合った時に、個々の事業努力が必要で、将来のビジョンの上に立って夢を持つこが大事だと力説していましたが。

後藤 それは大事なことですね。フランスのように、脚本を書くと申請しただけで、国から脚本料がもらえるようなのはちょっとやり過ぎかと思います。オペラハウスなどは本来行政の施設ですから、それはそれで造っていいとは思いますが、僕らみたいな民間の文化・芸術団体は、事業的に成功しなければいけないんです。

――私たちは、ずっと運動してきて、国の方針はあまりにも文化を大事にしていない、それを補うには、それぞれを尊重しながら共存していく方向でなければ、この時代を乗り切っていけないだろうと思うのですが。

後藤 そういう組織もありますね。児童青少年演劇劇団協同組合や、(社)日本児童演劇協会、などもありますが、なかなか実効のある手が打てないんです。児演協が協同組合になった時、あまり巻き込まれたくないなあと思う点があって「かかし座」は抜けてしまいました。それは、一つ一つの劇団の事情が違い過ぎるんですね。ギャラ制の団体もあれば給料制の所もある。影絵もあれば人形劇もある。東京だけでやっている所もあれば全国を回っている所もある。本拠地も東京、横浜、大阪、名古屋とみんなバラバラです。なぜやっているのかということでは、みんなそれぞれ御託を並べる。そんなことより事業的にうまくやろう、集まっている役者にちゃんと給料を払えるようにしよう、それで食える環境を作ろうと言っても、一致できない。大きな壁があるんですね。

――どんな壁なんですか?

後藤 例えば新劇の人たちは「芝居で食えるわけがないだろう。何言ってるんだ」と言います。むしろ食えないことが勲章みたいなもので(笑い)、それを誇りにしてきたようなところがありますね。その代わり千田是也先生の世代より下の、50代60代の世代は、ほとんどやめちゃっていないわけです。残っているのは芝居以外で食えてた人たちで、マスコミで食えるとか、奥さんや親の資力があるとか、そういう人たちに支えられてきた新劇の矛盾がある。だからみんなで食える業界を作ろうと言った時に強力に賛成しません。人形劇も、舞台劇も、ミュージカルの人たちも、皆それぞれ事情が違うという問題が出てくるんです。

――一年に一回でも、自分たちのやっていることを多くの人に知ってもらうようなことは?

後藤 その手のことは、まあまあそこそこあります。だから僕は横浜で集まるようにしたんです。横浜というローカルなら集まれるんですね。今年で六回目の「アート・ライブ」という催し物ですが、アート・ライブの実行委員会と市の文化振興財団が並び主催になり、市が後援して、3月1日から月末まで横浜市内で開催し各方面の劇団に「アート・ライブ参加ということで集まりませんか」と呼びかけます。これは実質的に市民や団体のボランティアで成り立っています。団体では「横浜演劇研究所」と「かかし座」、大きいところでは「横浜こどものひろば」や「横浜演劇鑑賞協会(演鑑協)」などから代表が参加しています。個人も含め10人ほどの実行委員会が切り盛りしていますが、この目的は、とにかく演劇というもののステータスを横浜で少しでも上げていこうということです。いろいろな矛盾や困難はあっても、横浜ローカルの演劇の向上ということなら手を組めるし、最終的には「かかし座」にとってもいいことだと思います。他の団体とかみ合わないものでも、そこと組むことによって、活動の輪が広がってくるということはありますね。

――その時にはぜひよこはま文化も利用して下さい(笑い)

後藤 多分これは横浜の演劇関係の催し物では最大のものでしょう。STスポットとか相鉄本多劇場といった小さい会場でもいろいろの催しがあり、まだまだたくさんアプローチしたいのですが、今はこれ以上手が回りません。

――長い歴史を持つ「かかし座」ですが、親から飛び出したいと思った時期はありませんでしたか?(笑い)。

後藤 私は父の仕事を見て育ちましたので、今でも色々な場で親の背中を感じるというようなことはありますが、若い時に音楽を始めたというのが大きかったかも知れません。僕はフルートを吹いていたんです。音楽大学に入って「笛吹きで行こうかな」と思っていたら父が亡くなって、後継者がいなかったので、かかし座をやることになりました。二十二、三歳ごろのことです。まあ、結局自分は音楽の才能がないということがよくわかりましたから(笑い)、よかったんじゃないでしょうか。でも夢は持っていますよ。

――その夢をお聞かせ下さい。

後藤 事業的に成功することですね。長年やってきて赤字がたまっている所がありますから、それを払拭して、次にチャレンジをしてみたい。ニューヨークやロンドンに行って、向こうの劇団と並列になって公演を打ってみたいです。演劇祭に出ることは、今の時代にはさほど難しいことではないし、ある程度日本で稼いでいれば、一・二週間の負担はそれほど問題じゃない。けれど今は実のない所には、あまりいきたくないですね。

――欲がなさ過ぎるのでは?

後藤 行くとすればロンドンの下町もいいですね。いつも向こうの芸人がお芝居をやっているように、そういう人たちと一緒にやってみたいです。2週間とか1か月くらいの公演がいいでしょうね。普通のお芝居と違って、影絵は視覚的な所がありますから分かり易いし、受け入れてもらえると思います。
その夢のためにも、日本でもっと一般の人たちが気づいて関心を持ってくれるような宣伝をすることが大事なので、少しずつやってみたいとおもっています。

――楽しみにしています。

(文責 岩泉 允陽)