影絵と役者 個性の競演

後藤 圭

日本経済新聞2007年11月2日(金)掲載



子供のころ、テレビの教育番組で影絵劇を見たという人は多いだろう。人形の後方から光を当て、スクリーンに映る影で演じる芝居だ。市民会館などで影絵劇に触れた経験のある人も多いかもしれない。多分、その大半は、私たちの劇団によるものだ。
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 日本初の影絵専門劇団
 私が代表を務める劇団かかし座は、日本で最も古いプロの影絵専門劇団だ。一九五二年、父の後藤泰隆が創立し、テレビや映画、各地の学校や施設で影絵劇を演じ続けてきた。早いもので、今年で五十五周年になる。
 スクリーンの中を飛び回り、砂漠に不時着する飛行機。やがて、スクリーンの向こうから操縦服を着た男が舞台前面にはい出てくる。途方にくれる男に、スクリーンの中から影絵の少年が話しかける。「ねえ、羊の絵を描いてよ」
 私たちの演目の一つ「星の王子さま」の導入部だ。サン=テグジュペリの名作を私が再構成、演出した。物語の語り部である操縦士の「ぼく」は役者が演じ、王子さまは切り絵の人形で表現。王子さまを星から星へ案内する渡り鳥や、王子さまと語らうキツネは手影絵で表現している。
 影絵劇というと、スクリーンの後ろで切り絵や手影絵を動かす印象が強いかもしれない。かかし座では影絵を見せるだけでなく、役者がスクリーンの前で演じる。昔は私たちも通常の影絵劇を行っていた。だが、お客さんは影絵だけではなく、芝居を、そして人間を見に来ているんだと気づき、今の方式になった。芝居的な要素を大きく組み込んだ私たちのような影絵劇は、世界的にも珍しいようだ。
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 子供の目輝かせたい
 演出方法だけでなく、新しい技術も積極的に採り入れている。最近はスクリーンに投影する背景もパソコンのソフトで作っている。複雑な技法に依る紙製だった昔に比べ、ずいぶんコストを削減できた。もちろん、最近各方面で評価の高い手影絵も健在だ。二十年程前から研究を重ねて来て、鶏やウサギ、牛、フクロウなど、約百種類に上る。最近考案されたティラノサウルスは三人がかりの大技で、子供たちは大喜びだ。
 団員は現在約三十人。企画営業のスタッフを除くと二十人ほどの役者がいる。「星の王子さま」のほか「長靴をはいたねこ」「アラジンと魔法のランプ」など三―五人ずつの班が演目ごとに分かれたり、合流したりして、全国の小中学校、市民会館などを回る。本部は横浜だが、一度公演に出かけると、二―三週間は帰ってこないことも多い。決して楽な仕事ではない。
 影絵劇を通じて長年子供たちを見てきたが、今の子供はノリが良くなった。昔はお行儀良く見ている印象が強かった。今は団員が舞台から「恐竜を見たいかぁ」などと呼びかけると、子供たちが「見たーい」「見たーい」と一斉に答えてくれるので、制止するのに一苦労するほどだ。
 とはいえ、根っこの部分は変わらない。影絵のキャラクターに自分たちのなんらかの姿を見つけた時、子供たちは共感し、目を輝かせて笑う。それは昔も今も一緒だ。子供たちの共感のツボをどれだけ刺激できるか。それが脚本や演出を務める私の役目でもある。
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 23歳、父の思い継承?
 私にとって、影絵は小さなころから身近な存在だった。自宅とけいこ場が一緒だったし、けいこ場の窓には役目を終えた切り絵人形たちが張られていた。ただ、長ずるにつれて私の興味は音楽に向かうようになり、音楽大学に進んだ。自然と、かかし座とも距離を置くようになった。
 ところが、私が二十三歳の時、父が突然倒れ、帰らぬ人となる。私は大学を中退。フルート奏者の夢をあきらめ、影絵に取組む日々に入った。TV局のスタジオや現像所、劇を持って全国を廻る事が仕事になった。あれから三十年近く。団員も増え、芝居的な要素を取り入れ、演出方法も様変わりした。だが、影絵劇を突き詰めようとした父の思いは、私なりに受け継いでいるつもりである。
 影絵劇を取り巻く状況は決して楽観できるものではない。少子化による学童数の減少や、市町村合併による公共ホールの事業の減少は、私たちの経営を直撃する。今後の課題は大人にも影絵劇を見に来てもらうよう、演目や演出を工夫することだろう。
 資料によると、日本には江戸時代から影絵劇の伝統があった様だ。伝統によって培われた日本人の感覚に立脚するかかし座の手影絵の繊細な表現は、世界的に見ても誇れる水準にあると思う。過去にも数度、海外に招かれたことはあるが、いつかは本格的な海外公演を展開したい。そのためにも、まずは劇団が事業として安定した実績を上げられるようにしなければならない。やるべきことは多い。