日本初の「影絵劇常設劇場」開始!
劇団かかし座代表 後藤圭

「人形劇のひろば」98号
~劇団劇場みてある記~
2008年12月20日
発行・編集:日本ウニマ



ウニマ会員の皆さん、いつもご無沙汰をしております。今回お話があって、影絵劇の常設劇場をはじめることになりました。機会がありましたら是非お寄りいただきたいと思い、この場を借りてご紹介をいたします。場所は岐阜県下呂市下呂温泉合掌村内の「しらさぎ座」です。

企画がはじまった!

下呂市は言わずと知れた温泉の町。日本3名泉の一つとして千年の歴史があります。「下呂温泉合掌村」というのは高山にある合掌造りの民家を移築して、合掌造りとその生活文化を体験出来る様になっている一種のテーマパークです。
今回かかし座で常設影絵劇をすることになった「しらさぎ座」は、かつて絡繰り人形劇「竹原文楽」が30年以上にわたって上演されていた知る人ぞ知る劇場です。「竹原文楽」は、そのたった一人の創設者であり演者であった洞奥一郎氏の死とともに終了し、その後は大衆演劇が行われていました。その施設を「下呂の文化発信の拠点にしよう! オンリーワン資源を作ろう! 影絵にしよう!」というよくわからない連想、というか見事な発想をした一人の課長さんの熱意でこのプロジェクトが動き出したのです。

下呂発のオンリーワン資源を作る!?

この常設影絵劇場の企画にはいくつかのポイントがあります。まずこの企画の発想の原点が「地元発信のオンリーワン資源を創る!」というものだという事です。これは“言うは易し、行うは難し”で、良く使われるフレーズなのですが具体的なプランを作るとなるとなかなか出来ません。この下呂の場合は先程触れた「竹原文楽」の存在があり、その劇場がそのまま残っていたという事も見逃せません。竹原文楽の公演は、その観劇を目的に下呂に来るお客さんも多数来場されたという事です。竹原文楽はまさに下呂のオンリーワン資源であったわけです。しかしこの十年間は大衆演劇を公演していたわけですし、そんなに簡単に「夢よもう一度!」とはいかない、というのが普通の考え方でしょう。
次のポイントは、ここで公演される演目はすべて「下呂の昔話」である事です。私たち人形劇人であれば「そうでなければならない。」と賛成してくれる方も一定数いらっしゃると思いますが、一般的には意外に地元の昔話等に冷淡な方が多いのは現実です。
三つ目のポイントはここで公演するのが、私たち「劇団かかし座」だという事です。何がいいたいかというと、劇団かかし座は「下呂とまったく関係がない」という事です。普通「地元発信」という場合にはやはり地元で全部用意出来る事を考えます。それをまったく下呂と関係のない横浜の劇団に影絵をやらせようという話ですから、かなり大胆な話です。かくして我が劇団かかし座は、まったく縁の無かった下呂のオンリーワン資源を作る企画に巻き込まれていったのです。

何をどう作る?

そもそも劇団などというものは、通常は自分達の演じたいものを自分たちの感覚で作って「どうだ、いいだろう!」と人様に見せているいい加減(!?)な存在です。そこで頼りにしているのはあくまで自分たちの感性と経験です。しかしこの下呂の企画についてはそれではいけません。ここで必要なのは下呂による下呂のための作品であって、かかし座は下呂市の納得する作品を創らなければなりません。そして、なんといっても前述の「見事な発想をした」の課長さんが担当者である訳です。その課長さんの頭の中には、多分見事な完成図が描かれている筈ですが、私からはそれが見える筈もありません。劇場の内装の変更や、機材の入れ替え一つも意思の疎通はなかなか難しいものです。題材についても、その脚本、コンテについても自分の作品を創る場合には無い、いろいろなやり取りが必要でした。

それでも初日は開ける!!

演目は下呂の温泉発見にまつわる「しらさぎ伝説」と、やはり下呂につたわる大親分狐の伝説「お美津ギツネ」、それに幕間にはかかし座得意の手影絵をお見せするというプログラムです。
作品が創られる過程はいつにも増してスリリングなものでした。ラストの2週間程は現地宿舎にすべてを運び込み、全劇団員の半分ほどが現地に乗り込み、久々にハードな仕込みになりました。内覧会プレスプレビューが7月15日、本初日は7月20日でした。プレスプレビューの時に作品を見終わった記者さんが「この話って、こんなに面白い話でしたっけ?」と言った時には私は本当にほっと致しました。そして本初日の20日を迎えてから、今年のスケジュールが終了する11月末までに毎日2ステージ(通常は週1日休演)で合計120日240ステージ、2万1千人以上のお客様を迎えることができました。幸にも概ね好評をいただいている様です。

これから

新年は2月20日から220日以上のスケジュールが秋までに組まれています。将来的には日数はもっと増やす予定だそうです。私たちは大げさに言えば、下呂の人が誇りに思ってくれる様な芝居をしなければなりません。そしてまだまだ不充分ではありますが、こうした文化芸術による地域社会への取り組みが、私たち人形劇人の仕事に成り得る事を証明してみたいと願っています。