下呂温泉合掌村の影絵昔話館しらさぎ座

 観光地・下呂市から劇団かかし座への委託事業の事例
 後藤 圭(劇団かかし座代表)
 公益社団法人日本芸能実演家団体協議会
 「芸術団体の経営基盤強化のための調査研究—実演藝術各分野の基板と組織 2015—」 
 2015年3月発行



私、後藤が執筆した事例報告が掲載されました。

Ⅵ 事例報告

事例報告 1
下呂温泉合掌村の影絵昔話館しらさぎ座
観光地・下呂市から劇団かかし座への委託事業の事例

「劇団かかし座」は、1952年創立の日本で最初の現代影絵専門劇団です。創立以来60年以上にわたり、 独自の手法で影絵の世界を拓いてきました。かかし座の影絵劇は、その繊細なデザインと柔らかい色調が独日の世界を作ります。影絵と俳優が相和して、生き生きと創り上げる舞台が特徴で、国内外で広く評価されてきました。
下呂温泉合掌村の影絵昔話館しらさぎ座は、日本で唯一、「劇団かかし座」の舞台を常設で見ることができる影絵劇場です。
下呂温泉合掌村は、白川郷などから移築した国指定重要有形民俗文化財の「旧大戸家住宅」をはじめ 10棟の合掌造りの民家を配し、往時の生活を知ることができる貴重な博物館です。村内には、国登録有形文化財の旧岩崎家(民俗資料館)、旧遠山家の板倉もあり、内部を公開しています。また、陶芸体験や和紙の絵漉きが出来る体験工房、飛騨の味が楽しめる市倉、桜とモミジの里山「歳時記の森」があります。しらさぎ座は、観光地である下呂市が直営する合掌村の中にある劇場です。村内に移築された合掌造りの建物のひとつが劇場に改装されて、長らく地元の人形歌舞伎「竹原文楽」専用劇場となっていた のですが、「竹原文楽」の創始者が高齢のため上演をやめて後、大衆演劇のための演芸館しらさぎ座となっていたのを改装、影絵昔話館しらさぎ座として再生したものです。「劇団かかし座」が市から委託を受け、平成20年7月より地元の民話を影絵劇として上演し続けています。
観光地の自治体が常設劇場を設置して実演芸術を活用している全国でも珍しい事例であり、観光と芸術文化の結びつきが注目される中、実演芸術関係者で事例研究をしようということで本調査事業の一環で、2014年12月7、8日の両日、中部地区の実演家を中 心とした委員らがしらさぎ座を実際に見学しました。以下は、劇団かかし座の代表、後藤圭氏による講演をもとにまとめたものです。

 

後藤 お手元のフライヤーの裏に、今上演できるレパートリー作品の一覧が載っています。右上に5カ町村の地図が載っています。『しらさぎ伝説』は下呂の由来になった温泉の話なので、これは常時やっている作品で、そのほか5本がそれぞれの町村にまつわるお話でして、全部で6本。今は一応つくり終えたので、これを順繰りに公演をしているところです。
下呂市は言わずと知れた温泉の町、日本三名泉の一つとして1,000年の歴史があります。下呂温泉合掌村というのは、高山にある合掌造りの民家を移築して、合掌造りとその生活文化を体験できるようになっている一種のテーマパークです。実は白川郷に行きますと、実際に合掌造りの建物に人が住んでおりますので、中を自由に見学することができないんです。土間の辺りまでは入れるところが何カ所かありますけれども、制限があります。一方、下 呂の合掌村は、合掌造りの古民家全部に入って中を見られるというのが特徴の一つです。
この合掌村はその中心に配置されている旧大戸家住宅、実は日本の合掌造り家屋の中でも最大級のものだそうです。入って正面にどんとあったのが大戸家住宅です。これは余談ですが、自民党の平沢勝栄さんの母方が大戸家で、平沢さんは実はあの大きな合掌造りで生まれたんだそうですが、ダム工事で沈んでしまうということになって、その移築先を下呂市が引き受けたことから、合掌村がだんだんと形になってきたそうです。
現在、劇団かかし座で常設影絵劇を上演している「しらさぎ座」は、合掌造り古民家の内部を劇場に改造したもので、かつて1人で100体の人間を操るというからくり人形劇、竹原文楽一竹原文楽の竹原というのは、下呂市内の地名でして、竹原出身の洞奥さんという人が考案、創設したので竹原文楽という名前でした。これが26年間にわたって上演されていた知る人ぞ知る劇場です。竹原文楽は国立劇場でもその公演が行われたとてもユニークな人形劇だったのですが、そのたった一人の創設者であり演者だった洞奥一郎さんの死去とともに終了し、その後は大衆演劇が行われていました。
その施設を下呂の文化発信の拠点にしよう、オンリーワン資源をつくろう、影絵にしようというよく分からない連想といいますか、見事な発想をしたたった一人の課長さんの熱意で、このプロジェクトは動きだしました。何か会議をやって決めたとかそういう話では全然なくて、この劇場を使うには影絵がいいのだと、課長さんが発想したそうです。僕はこの話が動き始めてから何回か「なぜ影絵を選んだのか」というふうに聞いたのですが、明確な答えは返ってこなかったです。
企画の発想の原点が、地元発信のオンリーワン資源をつくるというものだったということです。これは地域活性化がテーマのシンポジウムなどでよく言われているフレーズですが、言うは易く、でも、具体的なプランを作るとなかなかできません。下呂の場合は、先ほど触れた竹原文楽の存在があり、その劇場がそのまま残っていたということも見逃せません。竹原文楽の公 演は、その観劇を目的に下呂に来るお客さんも多数来場されたということです。竹原文楽はまさに下呂のオンリーワン資源であったわけです。何しろ地元出身の人が1人でやっている人形で、ほかにそれに類するものというのは日本中になかったのですから、見事なオンリーワン資源であったわけです。

しかし、その終了後に10年間は大衆演劇を公演していましたし、そんな簡単に夢をもう一度とはいかないというのが普通の考えでしょう。
 2つめのポイントは、ここで公演される演目は全て下呂の昔話であることです。
この事業は事業名が下呂市の「文化伝承公演事業(影絵昔話劇)」という名前です。私はこれをとても意義深い事業であると感じています。今日ここにいらっしゃる皆さんであれば、地元の昔話をやるということに賛成してくれる方が一定数いらっしゃると思いますが一般的に言って、 意外に地元の昔話には冷淡な方が多いようです。 特に行政関係はそうです。
私はこの事業でかかわったいくつかの昔話について、とても特徴のある、公演する価値のあるものと感じております。先ほどビデオを見ていただいた『お美津ギツネ』も、最後にちょっと長唄のようなパートがありましたが、あれは実は『お美津ギツネ』の信者総代をされている方がおられまして、そこに残っていた資料の中に『お美津ギツネ』の古浄瑠璃の歌詞があったんです。それを頂いて、もの浄瑠璃は長いんですが、ちょうどお話のクライマックスにあたるところだけをワンコーラス使わせていた だくことにしました。しらさぎ座の音楽をつくっていただいているのが藤舎流お囃子方の藤舎呂英さんなのですが、作調をお願いして、昔の歌詞に今の長唄の曲を付けたというものです。
そんなふうに地元の資源というのはいっぱいあるのですが、どうも地元に伝わるそういうものについては、そんなに価値があるものと地元の人はあまり思わない傾向があります。これは実際に始めてからも、「何で『金太郎』や『浦島太郎』じゃいけないんだ」という意見が聞かれました。「『金太郎』や『浦島太郎』の方が有名じゃないか」というようなことをおっしゃる方がいる。大変びっくりするんですが、それが実情です。
3つ目のポイントは、ここで公演するのが私たち劇団かかし座だということです。何が言いたいかというと、劇団かかし座は下呂と全く関係がない団体です。親せきがいるとか、嫁に行った誰とかのおうちがあるとか、そういうことは全く関係ないんですね。普通、地元発信という場合には、やっぱりその地元で全部用意できることを考えてしまうんですけれども、それを全く下呂と関係のない横浜の劇団に影絵をやらせようという話でした。いってみれば、行政の進める仕事としてはかなり大胆な話です。 かくしてわがかかし座は、全く縁のなかった下呂のオンリーワン資源をつくる企画に巻き込まれることになったんです。関係のないかかし座に声がかかったというのは、そこにプロの技術を入れたということなのです。
そもそも劇団というのは通常はどういう仕事をしているかというと、自分達のやりたいものを自分たちの感覚でつくって、「いいだろう」と言って見せています。やりたいというだけでやっている存在です。それを「今こそ、この作品を子供たちに」とか理屈をつけて見せているわけです。そこで頼りに しているのは、あくまでも自分たちの感性と経験で、これは演劇に限ったことではなくて、音楽の団体でも、ほかのジャンルの団体でも、つまるところは大体似たようなもので、自分がよいというものを実演するわけです。別にそれがいけないというわけではないですけれども、でも、この下呂の企画というのはそうではなかった。ここで必要なのは、下呂による下呂のための作品でなくてはならなくて、かか し座は下呂市の納得する作品をつくらなければならなかった。昔話そのものは断片的なものもあって、 材料のそろってないものもあります。そうした素材を集めて、現地を歩き、話を聞いて再構成していっ たわけですが、なかなか骨の折れる仕事でした。
そうして生まれた作品が、まず地元の人々に支持されて歓迎されなければ、やっぱりこの仕事は成り立たないというふうに私は最初思ったわけです。そして何といっても、前述の「ここに影絵が必要だ」という発想をした課長さんが担当者としていらっしゃるわけで、その課長さんの頭の中には、多分見事な完成図が描かれていたはずなのですけれども、私がいくら話を聞いてもその完成図が見えるわけではありません。
劇場の内装の問題もありました。内装はもっとひどかったです。大衆演劇をやっているころは現在の場内照明(客電)もなかったですし、それから窓も全部カーテンでしたし、かなり古びた感じのものでした。内装の変更や機材の入れ替え一つとっても、意思の疎通はなかなか難しい。題材についても、 脚本・コンテ・プランについても、自分の作品をつくる場合にはない、いろいろなやりとりが必要でした。
それでスタートした平成20年7月の演目は、先ほどお見せした『お美津ギツネ』と、それから『しらさぎ伝説』、その幕あいにはかかし座の手影絵を見せるというプログラムでした。当時は実は2本立てで幕あいに手影絵をやっていましたから1時間以上の上演時間でした。1ステージ1時間10分ぐらいで、1 日2ステージだったんです。しかし観光バスでお客さんが来られますと、その日のうちにいろいろなところに行くものですから合掌村にいる時間が短い。そこで1ステージをもっと短くしようということで、 途中から1本立てで3回やるということになったわけです。
これをつくるとき、初日前2週間ほどは現地宿舎にかかし座が本当に丸ごと引っ越してきたようなことになって、劇団員半分以上は来ていましたね。そして内覧会、プレスプレビューが7月15日、本初日が7月20日でしたが、プレスプレビューの時に作品を見終わった記者さんが、「この話ってこんなに面白い話でしたっけ」と聞きに来られました。そう言われても、どんな話を聞いていたのかこちらには分からないんですが、でも私はほっとして、これは少し続けられるかもしれないな、と思いました。
その後、小坂の『力持ち小太郎』、『孝子ヶ池』、『祖師野丸』『八百比丘尼』と5カ町村それぞれに1本ずつと、『しらさぎ伝説』という当初の計画どおりに作品をそろえて、それを順繰りに公演しております。
公演数なんですが、多少の増減はありますが、今のところは打ち日にして年間223〜22日ぐらいです。 ステージ数は、最初は2ステージずつやっていたのでこれの倍、今、時間は短いけれども、3倍のステージ数。だから、ここをやるだけで年間600〜700ステージ近くになっています。
そして、年間の観客数は約4万人前後というのが実情です。1ステージ平均すると60人前後。1日平均でいいますと150人余くらいでしょうか。これを6年間、あしかけ7年やってきまして、まだまだ不十分ではありますけれども、こうした文化芸術による地域社会への取り組みというものが、私たち演劇人、ひいては実演家の仕事になり得ることを、できれば証明してみたいというふうに私たちは思っています。
もちろんこの事業は市の主催であり、興行の正規の最終責任は下呂市にあります。しかし、それで私たちは興行成績に責任がないのかというと、そうでもありません。やはり土地の人に支持され、お客さまに喜ばれ、一緒に興行をなり立たせていけるようにする責任があるわけです。
ここの観劇事業は、やってみて分かったのですが、最初私たちはもっと観客年齢が低いだろうと思っていました。けれども、実際観光客の主体というのはやっぱり50代以上なのです。それから、どうしても子ども対象の事業は日頃学校の仕事が多いものですから、夏休み、冬休み、春休みという感覚があるんですが、やっぱり大人ですから、行楽シーズンというと秋がピークなんです。そんなふうに知らない世界がだんだん分かってきたりして、50代、60代以上の観光客ということを考えたときに、われわれの実演ということはもっと可能性があるんじゃないかというふうに僕は感じています。
何しろ、見ている間は座っていられるのです。これは非常に重要なポイントでして、観客が体を休めながら楽しむことができるのです。今後ますます進むであろう観光客の高齢化に向けて、有効なツー ルになり得るんじゃないかというふうに感じております。
夏休みなんかを除けば、実際に観客のほとんどは中高年です。その土地の昔話や伝説を紹介することは、観光地に付加価値をつくり出すことになります。今回訪ねた下呂というところにはこんなキツネがいたんだとか、それから『祖師野丸』という話の中では、悪源太義平という源氏の、頼朝のお兄さんが出てくるんですけれども、平家と争ってこっちの方まで落ちてくるときに下呂に寄ったということになっていて、一説にはここが義平の館の跡だという場所まであります。普通、温泉に入って帰るだけだとそういうことは分からないですが、そういう場所だったんだという意外性といいますか、こんな山奥にもこんなにすてきなお話がある、下呂というところはこういう土地だったんだという発見は、 下呂温泉を旅先に選んだお客さまの判断に満足感を付与し、リピーターを生む原動力になります。少なくとも私はそう思います。
私たち劇団かかし座は、お客さまが訪れた下呂という場所の付加価値を高めて、良いところに来たなという満足感に貢献しなければならない。仕事というものはよく需要と供給などという言葉で説明されますが、私たち劇団の仕事は多くの場合、需要を開拓していく仕事でもあったはずです。多分、下呂市が観光地、温泉地として生き残っていくためには、日本中にあるほかの温泉地並みのことではもはや成り立たないのだと思います。私たちは、下呂市の将来に向けての一つの試みとして期待されているというように感じています。
実際に、こちらの(今日の会場の)水明館は下呂でも別格の旅館ですが、窓から見える温泉地の旅館の大半は相当疲弊しています。不況の波は確実にこんな小さな町にも押し寄せています。私たち劇団かかし座ができることは高が知れていますが、最近はリピーターの方も多くなっています。今までの全作品を見てくれているお客さまもいます。少しでも下呂温泉のお客さまが増え、発展に寄与し、そして私たちの実績が認められるようになってみたいものだと考えています。
それから、これからの課題、問題点なんですが、行政の仕事ですから、常々われわれが「行政だからな」 と思っているようなところがやっぱりあります。合掌村は下呂市の直轄の事業です。ですので、合掌村採用の人たちもいますが、施設長が課長さんなんですが、課長以下、何人かは市からの人事で配属されます。ですから、最初にお話ししたこの事業を発案した課長さんも、事業開始早々に異動されてしまいましたし、その後も大体2年ごとに市の職員は異動になります。もちろん申し送りはあるのでしょうが、それがこちらから見ていると必ずしも十分ではありません。言ってみれば、微妙なところはなかなか伝わらない。上演前の客入れの呼び込みとか、「これは本来僕たちの仕事じゃないんですけど、これはサービスですよ」と言っていても、そういうところというのは文章になっていないから伝わらない。だから人が替わったらまた説明しなくちゃいけないというようなことがあります。
もうひとつの課題は、この事業は「文化伝承公演事業(影絵昔話劇)」という名称ですが、であるにもかかわらず、実は地元の人、特に子供たちがなかなか見ていないという問題があります。文化伝承事業ですから、伝承というのは誰かに伝えなければならないんですけど、肝心な市内の子供が見ていない。近年は市内の保育園、小学校の子供がまとまって見られる機会が少しずつ増えているようですが、まだまだ少ない。地元の小中学生は全員見るくらいになっていただきたいというのは最初からの私たちの願いなのですが、小さな市ではありますが、それでも2,000人以上小中学生はいるわけです。この事業によって、子供たちに自分たちの生まれ育った土地の物語を伝えることはとても意義のあることと思いますし、それによって土地に対する愛着や祖先に対する感謝の気持ちが育まれる一助となれば、こんなにうれしいことはありません。実際にはこの事業を行っているのは観光商工部というセクションで、教育委員会とは違うのです。小さな市ですけれども、部署が違うとやはり連携が今ひとつで、もったいないなというふうに思います。
それから、私たちかかし座は委託事業としてしらさぎ座で公演を行っているわけですが、下呂市側は、生芸能としての私たちの仕事の役割や特殊技能者としての理解は、やっぱりとても薄いと言わざるを得ないです。先ほどの『金太郎』や『浦島太郎』の話もそうですけれども、言ってみれば私たちを十分に活用できてないのではないか。経済的な問題もありますが、ここにお集まりの方はよくご存じの事ですが、本来やっぱり実演芸能というものは、そのコストを算出しにくいものです。文化庁の各種申請なんかでも毎回悩まされるわけですけれども、かかし座自体もこれだけ長期のロングラン公演は全く初めてのことでありまして、始めてみないと分からないさまざまなコストに関しては、負担になってきているのも事実なわけです。このあたりのことが今後、相互の理解の中で解決して行かれる事を期待しています。
以上が、7年間の私のまとめでございますけれども、何かご質問があればお答えしたいと思います。 ご清聴ありがとうございました。(拍手)
VI 事例報告

<質疑応答>
◯  依頼されて作品をつくる、民話だ、となったときの民話の調査は、実質は自分たちで調査されたということですか。あるいは資料館、誰か学芸員が付いていたのでしょうか?
後藤 昔話の選択にはいろいろな条件があります。『しらさぎ伝説』は初めから、下呂の温泉の話ですから、 これをやってくれという意向がありました。『お美津ギツネ』の場合ですが、最後のところで語り手が、 「この話がうそだと思ったらお美津稲荷に行ってみなさいよ」と言います。実際に「お美津ギツネ」の話を始めたら、お美津稲荷のおさい銭が増えたそうです。というふうに、伝承事業とそれから実利といいますか、現場がそこにあるというものを主にやりたいというような希望がある。それから、同じ伝説でもやっぱり悲劇はあまりやらないですよね。そんなことがあって、幾つか候補が出てきて、その中から 選ぶというような経緯があって、私たちが全面的に選択したというわけではないです。

○ 劇団として受け取る委託費は、お幾らなのかはともかくとして、1 ステージ幾らで付けているのか、年間の合計で受けているのか、いわゆる複数年数の契約をなされているのか、出演者の方たちのそれはちゃんとギャランティーとして成り立っているのか、教えていただきたい。それと、市の事業にもかかわらず、下呂の子供たちが見ていないというのはどういうわけでしょうか?
後藤 最後のところからお答えしますと、それはやっぱり行政の縦割りの問題でしょう。観光商工部と、教育委員会は部署が違っていますから、企画意図がよく伝わっていないのじゃないかと思います。契約の問題ですけれども、あまり十分とは言えません。なので交渉するのですが、難しい面はあります。契約は単年度で、1年ごとの契約です。契約するときに話題になるのは、つまらないことで言うと、宿舎を借りているのですが、宿舎の光熱費とか宿舎を借りるのを有料にしてほしいとか、そういう要求が時々出ます。われわれは呼ばれて仕事をしに行って、宿泊費を持つということはあり得ないので、それはお断りするんですけれども。居続けているとはいえ、負担することはできませんということは毎回説明しますが、ちょっと時間がたつとまた出てきます。

◯ もう一点、関連した質問で、下呂市の一般財源、いわゆる観光局の予算からなのか、それとも下呂市が文化庁に申請して「文化遺産を活かした地域活性化事業」みたいな形で助成を得てやっているんですか。
後藤 助成金は入っていないと思います。合掌村そのものはとても特殊な施設でして、下呂市の直轄ですけれども、下呂市の予算は一銭も入ってないのです。要するに、合掌村の入場料収入で合掌村が運営できてしまっているんです。劇団への委託料も含んでです。だから、とても恵まれた施設だと言えると思うのですけど、だから10年来やっていた大衆演劇を止めて、かかし座にやらせようなんていうことも議会を通ったんではないか、と思います。

◯ 今お話を聞いていておかしいと思ったのは、下呂市が出している割には、何で観劇料として300円取るのかなと思ってね。合掌村に入るのに既に800円払って、さらに300円だと。それで、100人入って3万円、2ステージあって6万円、3ステージで9万円、1日にね。それでペイできると思えないのに、何で300円取るんだろう、無料にできないのか。
後藤 どういう意味かは分からないんですけども、一つには、少しでも……。だからお茶屋さんでおそばを出していたり、それから陶器の絵付け体験というのをやっていたり、紙すきがあったりするわけですよ。それはやっぱりただじゃないんです。100円、200円とか、それくらいのお金を取るわけです。 ですから、入園料があって、一つ一つのアトラクションでいくらかずつ取るという考えのようです。 ただ、あそこの施設で残念なのは、入園料で800円払ってすぐ目の前に劇場でしょう。テーマパークの設計というのは、本来、奥の方にメインのアトラクションがある。だから劇場が一番奥にあればいいん ですが、もっと奥にあれば300円出しやすいというのもありますし、必ず一番奥までお客さんが往復してくれるという事になりますから、ただでやってもメリットになると思うのですが、そこら辺は直せないものですから。最初は200円だったんです。

◯ 将来性はどうなんですか。
後藤 それは何とも。難しいところがあります。それこそ単年度契約ですから、来年にでもなくなる可 能性はあります。

◯ 初期投資の部分はみんな下呂が出してくださったのか。それと、かかし座さんが下呂で影絵劇の常設劇場をやられて、ほかの観光地から、うちもどうかとかというお誘いがあったかどうか。
後藤 まず初期投資については、少なくとも表向きは100%合掌村の負担です。劇団が負担というか投資しているということは特にございません。それからもう一つは、よそから誘われたかという点では、 お話は2〜3あったですけれども、具体化したものは一つもありません。かかし座としては、条件のいいところがあればいつでも対応したいと思っております。

◯  「サービスでやっているんですよと何度も伝えているんですが、なかなか伝わらなくて」と言ってらっしゃった舞台ではないサービス業務部分に関して、そこで問題になってくることは具体的にどういうことなのか?
後藤 まず最初のなかなか伝わらない部分ですが、言ってみれば「いいじゃない、いるんだから、そこに」というふうな使われ方というのはやっぱりしたくない。われわれは舞台人であって、舞台は仕事だけれども、そのほかの呼び込みとか客席の整理は、制作部があれば制作部の担当がやる部分です。僕らはここを主催しているわけではないので、主催している人たちがやらなきゃならないことですよ、というのはちゃんと分かっていてくださいね、ということです。でも、実際には呼び込みから、席の整理から、追い出しまでこちらでやってしまうのです。なぜかというと、やっぱり緊縮財政で合掌村の方に人が配置できないと。だから、開演間際になると人が1人来るので、遅れて入ってくる人たちは、合掌村の人が誘導しますが、始まるまでは役者がやっているわけです。それはあまりよくないなというふうに思っていて、できれば避けたい。太鼓をたたいて呼び込みをやったり、場内整理をやる人がいてもいいんだけど、それは役者じゃなくて本当は別の立場の人間がやるべきこと。そんなふうに思っています。
後藤 当初予想できなかった見えない費用というのは、例えば最初何年やるからという話がなくて始めていますから、機材の劣化ということがあります。コンピューターだって5年使ったらもう危ないでしょう。ですから、5年から7〜8年の間にはやっぱり機材を替えていかなきゃならないし、それから照明の球だって切れるしということがあります。そこの部分は実は解決してもらっていて、ギャラと別に機材のメンテナンス費というのをここ何年かは少しずつ毎月頂いている。一番解決できないのは、 私は今年、たぶん10回以上下呂に来ているんです。何をしているかというと、稽古をしているんです。劇団員を4人を張り付けておくということは、うちのように、せいぜい40人ぐらいの組織ですと、その中での4人というと結構重いんです。それが誰でもいいというわけにはいかない。ベテランが入ってないと、お客さまにお見せできるものにならない。ですから、それだけの力量のある人間を張り付けて、なおかつ新人に近い人間も入れるけれども、そのためにメンテナンスにずっと僕が通っているわけです。そういうことの負担というのは結構大きいです。10回来て3日ずつけいこをすると、僕は1年間、1カ月下呂にいることになる。そうすると、やっぱりほかの作品に差し障りますよね。というようなことがいろいろあって、長く続けるというのはこういうものかというふうに思ったりしています。

◯ このような事業が、実際にあってこれが成り立っているというお話を聞いて、今おっしゃった3 つぐらいのコンセプトが調えば、ほかの地域でもできるのかということを私はちょっと今考えていたんですね。町おこしの政策が、今しきりに話題に出ているところなんですけれども、私はかかし座さんがやられているこの事業は、まさにその先端を行っているんじゃないかと思いました。
後藤 どうもありがとうございました。
(終了)