「Hand Shadows ANIMARE」海外公演雑感

後藤 圭 劇団かかし座代表

「 青淵」No.797掲載 2015年8月1日発行




劇団かかし座とは
私が経営する劇団かかし座は、昭和27年(1952)に私の父によって設立された「影絵」の劇団です。劇団と言っても「影絵劇」だけを演ずる団体ではなく、影絵の「絵」を作ったり、「映像」を撮ったりと、「影絵」に関する事であればよろず相談引き受けという体制を取っています。今でもその活動は舞台、TV、映像、出版物、各種イベントなど多岐にわたっています。そんな店の構え方をしている劇団かかし座ですが、実は数年前まで海外交流にあまり興味を持っていませんでした。でも私はいつしか「機会があれば世界中の人たちにかかし座の影絵劇を楽しんでもらいたい。」という願いを持つようになっていたのです。

手影絵の舞台
私たちは日本の伝承遊び「手影絵」についても、研究を続けていました。うさぎやりすの様な小動物から、ライオン、ゴリラ、ゾウ、などの大型哺乳類まで100種類近く用意出来ていました。そして、その手で作った動物たちの「動き」にとても可能性を感じていたのです。この手影絵というシンプルな遊びは、実は世界中で親しまれているのです。ヨーロッパ、アメリカはもとよりアジアでも南米でも遊ばれています。ですから「海外で見てもらうのであれば、手影絵をベースにした作品がいいのではないか?」と考えていました。しかし、積み上げて来た技術や表現力が海外で受け止めてもらえるのか、については全く未知数です。でも、私たちは国際コミュニケーションを前提とした作品を試す必要を感じていました。

ANIMARE開始
そして作り上げられたのが「Hand Shadows ANIMARE」です。今では海外での公演も回を重ねてきましたが、一番印象が強く残っているのは何と言ってもこの作品を初演したドイツのステージです。
私たちは2009年10月にドイツで行われた「シュべービッシュ・グミュント国際影絵劇フェスティバル」のオープニング公演を任せてもらえる事になりました。これはとても名誉な事です。なんとか気に入ってくれると良いが・・、客席を埋めるヨーロッパ人達を眺めながら私は祈る様な気持ちで開演を待ちました。主催者の挨拶があり、照明が落ち、ステージがスタートしました。約1時間の公演中、私は夢の様な時間の中にいました。シーン毎にはじける笑いと拍手、会場内は素晴らしく盛り上がりました。かかし座のメンバー達も、素晴らしい出来と言っても差し支えなかったと思います。たくさんの拍手の中で、私の気持ちは高ぶり、目が潤むのを止めることができませんでした。フェスティバルプロデューサーやスタッフ達も大変喜んでくれました。こうして私たち劇団かかし座の海外ツアーが開始されたのです。

良いものを熱心に受け入れる
その後も各国で感じるのですが、ステージに対する観客の反応がとてもはっきりしています。素晴らしいとなったら惜しみない拍手をくれますし、公演中でも反応がとてもビビットです。私たちはステージの上で終始観客に励まされ、つい載せられてしまいます。日本のお客様もとても熱心に見てくれますが、ステージ途中での拍手などについてはどうしても控えめ、遠慮がちです。海外のお客様はとても動的、積極的に反応してくれます。これはどちらがどうという事ではありませんが、そこに民族性、国民性の様なものが見えてきます。私たちの最初の訪問国、ドイツのお客様はとても暖かく、熱心に私たちの作品を受け入れてくれました。そして驚いたのは、ステージ終演後すぐに他のフェスティバルのプロデューサー達が「次はウチに来い!」と言ってその場で交渉に入るのです。この辺りも日本では経験出来ない事です。私たちにとっても嬉しい事ですが、彼らも目を輝かして交渉に来ます。その笑顔に会ってしまうと、こちらも「なんとかして行ける様にしよう。」と思わされてしまいます。現在までにこの作品で伺った国は10カ国になりました。

ブラジル公演
その中でもブラジルはとても強い印象が残っています。招聘元はブラジルの国際人形劇フェスティバルSESI Bonecos Do Mundo。面白い事にこのフェスは毎年ブラジルの2〜3都市を巡回しています。この時(2012年)はブラジル北東部のサルヴァドール、レシフェ、フォルタレーザという海沿いの3都市での開催でした。客席は陽気なブラジリアンで埋まり、反応は今までの海外公演の中でも最も大きく熱烈なものでした!拍手、笑い、大歓声の中で公演が進みます。そして特別のアンコール「アニマル・サンバ」が始まると客席全体が大喜び!終了と同時にスタンディング・オベーションを受けたのでした!沢山の方がショーの成功を祝福してくれました。

ブラジルの街で −1
ショーの成功も嬉しい限りでしたが、とても心に残る発見がありました。フォルタレーザに到着した時の事です。海岸沿いの小高い丘に大きな赤い鳥居が立っているではありませんか。近くに行ってみると大きな鳥居だけでなく、参道があり丘の上にはお社の様なものまで建っています。パネルがはめ込んであったので見てみると、どうやら20世紀初頭、日本人で初めてこの街に来たFUJITA JUSAKUさんを顕彰するためのモニュメントのようです。そして高いポールが何本か立ち並び、その上には「訓育」「我慢」「決心」「苦心」「献身」「根気」と日本字が彫られているではありませんか。今から100年以上前に一大決心をして遠い異国の地に渡り、ご苦労を重ねて或いは成功されたのでしょうか。その方の顕彰碑がこのような形で残されているのです。こんな大掛かりな顕彰碑を作ってくれたブラジルの皆様には感謝しかありません。

ブラジルの街で −2
もう一つ驚いた事がありました。レシフェの街を私たち一行が歩いていた時の事です。何かのパレードの準備をしている中学生くらいの子ども達の団体がいます。その中の女子生徒から突然「ジャポネ!」「ジャポネ!」(日本人だ!)と声がかかりました。彼女達には日本人が分かるらしいのです。私たちが「そうだ。」と答えると大騒ぎが始まって、みんなパレードの準備そっちのけで携帯などを取り出し、「写真一緒に撮って下さい!」とたくさんの女子生徒達に取り囲まれてしまったのです。次々にやってくる女子生徒達に私たちはモテまくりました。まるでタレント扱いです。そんなに珍しいのかな?とも思いましたが、珍しいだけでこんな風にはならないと思います。きっと、何か日本人の良いイメージが伝わっているのでしょう。

先人達の努力の上で
私たちは招聘を受けて世界の何カ国かに伺う機会を持ちました。が、その根っこのところには早い時期に日本人として海を渡り、ご苦労を重ねた皆さんの大変な力があるのでしょう。「そうした先人のたゆまぬ努力と情熱、根気の上に、現在の私たちの公演が有るのだ。」という思いが湧き上がってきます。私は100年前にブラジルのフォルタレーザにたどり着いたFUJITAさんの事を何も知っているわけではありません。レシフェの街角で私たちを発見して大喜びした女の子たちが、何故あんなに喜んだのか、本当の理由はわかりません。でも、日本や日本人がある程度以上リスペクトされていなければあの様なモニュメントは出来ないし、あの様な反応にはならないでしょう。私たちは先人たちの努力や苦心の上に現在の我々があるという事を深く自覚するとともに、その名を汚さぬ様、またその名に恥じない様、私たちの努力を積み重ねていきたいと考えたのでした。